lothar’s diary

社会人3年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

甲殻類アレルギーは意外と大変

何度かブログに書いたこともあるので、知ってる人はいるかもしれないけど、僕は甲殻類アレルギーである。元々花粉やハウスダスト、犬猫のアレルギーも持っているアレルギー体質なのだけど、食物に関するアレルギーは現在甲殻類だけである。

なぜ「現在」と付くかというと、以前はそうじゃなかったから。乳児期には牛乳のアレルギーもあったらしい。でも小学校に入る頃には治っていたそうだ。謎である。

 

甲殻類アレルギー、普段生活していたらあんまり苦労しないと思われるかもしれないが、甲殻類は意外と出くわす場面が多い。意外と食べられないことに苦労するタイミングが多いのだ。

まず一番に、ちょっと良い料理には甲殻類出がち。オマール海老とか伊勢海老とか……これは西洋問わず定番だと思う。つまり僕は高いご飯に行くと我慢を強いられるのだ。同行者が「うめ〜!」って頬張るのをよそに草食ってるなんてこともしばしば。いい物食べられる機会なんてそう多くないのに、そこで制限かけられるのは悲しいよね。

 

この事象の最大のエピソードは、高校の修学旅行。

僕の高校の修学旅行は北海道で、2日目だったかな、夕飯がカニの食べ放題だったんですよ。もう僕なんも食えんじゃん。もういっそ食べてやろうかと思ったけど、僕がアレルギーなのを知っている担任からの監視の目。わっ、無理やんね。

手持ち無沙汰になった僕は、手袋をつけて蟹の殻を剥くのに従事した。なんかめちゃくちゃ上手くなったと思う。カカオ農場で働いてるけど、チョコレート食べたことない少年と同じだ。これは流石に悲しくなる。

 

あとは天ぷら屋さん、海鮮丼は基本1人では食べられない。これらは大体海老が入ってる。言えば変えてくれるところも多いけど、なんか申し訳なくて……代わりに食べてくれる要因を連れていかないと1人じゃ入りずらい。

 

最後に、気づかずに食べちゃって体調崩すパターン。これも意外とある。この間食べに行ったラーメン屋さん。ものっすごい美味しかったんだけど、なんの味だかよくわからなかった。なんにしろ出汁がめっちゃよい。ものすごい美味しい。

しかし帰ってからお腹の調子が良くない。怠い。なんか変な物でも入ってたか?とお店の公式サイトに飛んでみる。……あっ、出汁に伊勢海老使ってる。なるほど、それで今体調悪いのか。その日は一日中お腹壊してずっと体調悪かった。あの知らない美味い味は伊勢海老のものだったのだ、とわかって少し悲しくなった。

 

そんなエピソードが意外とある。食物のアレルギーってのはどんなものでも同じような大変さがあると思う。小麦のアレルギーだった友人も大変そうだった。そういうもんだから仕方ないけど、出来ればなんも気にせずに美味いもん食べたかったなぁ……

 

 

 

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アレルギー全体について語っている記事あったわ

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独り言って普通じゃないのか?

僕は自分で言うのもなんだけど、独り言がめっちゃ多い。人よりも多いと思う。

仕事中に集中している時は自然とつぶやいてしまうし、ゲームしている時は熱中すればするほど、声が出る。特に見てる人がいない時でもそう。というか逆に、見てる人がいると喋らなくなることも多々ある。居るとさ、なんか独り言聞かせるのも申し訳なくて、遠慮して喋らないことあるよね。

 

僕はちょっと人よりは多めではあるけれど、独り言なんて誰であってもやるものだと思っていた。誰でも一人でいるときは、呟くことが時々あるし、僕はそうやって口に出すことで思考の整理をしている側面があったので、みんな考えに詰まったらしゃべるんじゃねぇかな?と思っていた。

しかし、実はそんなことはあまりないらしいと言うことに最近気づいた。きっかけは同居人の言葉だ。

 

僕はお昼間に部屋でゲームをしていた。一人でRPGをやっていたのだけど、結構熱くなって「勝てね〜」とか、敵の攻撃タイミングを呟きながら遊んでいた。

一区切りついてリビングに行くと、同居人がいた。

 

「騒がしかったね、配信?」と聞かれる。

「いや、ゲーム一人でしてた」

「一人?でもすごい話してなかった?」

「うん、全部独り言よ。ゲームしてる時ってそんなもんじゃない?」

「そんなことないけど……配信者気質か」

「配信する前からこんな感じよ。えじゃあPRG遊ぶ時無言でやんの?」

「無言でしょ普通」

「ウッソダァー!」

 

なんてやり取りをした。どうやらゲームしながら喋るのは普通ではないらしい。

またある日。この日は寝られずにリビングで作業をしていた。誰もいないのを良いことにぶつぶつ呟きながら作業。と、同居人が現れる。

 

「誰と話してんの?」

「いや、独り言だよ。作業してたから」

「作業してる時喋らんくね?いやこえぇよ」

「えじゃあ作業の時ずっと黙々とやってんの?」

「そうだけど」

 

なんてやり取りをした。

う〜ん、間違いないか?これは僕がおかしいか?ちなみに同居人が2人いるけど、両方独り言全然言わないらしい。おいおいこれじゃ多数決で僕の方がおかしくなるじゃないか。と言うことで、どうやら独り言をよく言うのはあまり普通ではないらしい。

まいったねこりゃ。こんなことに気付かされるなんて……まぁ人に迷惑かけているわけじゃないから直す必要もないだろうけど、普通じゃないんだ。普段からやってたことだからちょっとビックリ。

他の人とは違うことだけど、自分じゃそうだと思っていなかったことに気づけるのは、ルームシェアの面白いところかもしれない。これが吉なのか凶なのかわからないけど、新しいことに気づけるのは素直に嬉しいよね。

 

もうよく分からんがめちゃくちゃ美味いことだけは確かな塩ラーメン【おとなの塩soba】

僕は毎週一食だけラーメンを食べて良い、という縛りを持って生活をしている。目的は健康のためだ。こうなると折角ラーメンを食べるのなら新しいもの、かつ美味しいものをできるだけ選びたくなる。

さて、今週のラーメンはどこに行こうか?家の近くのラーメン屋さんは大体行く尽くしたし、ちょっと足を伸ばしていきたい。今日はあっさり目の気分だな。なんかいいところがないかインスタで調べてみる。探してみると川口駅からかなり行ったところに美味しそうな塩ラーメンのお店がある。写真見た感じ……なんかすごい色々乗ってて面白そう。よし、ここに行きますか。

 

お店は駅から徒歩40分くらい。流石にちょっと遠いのでレンタルチャリを使って向かう。

 

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ビルの一階に目的のお店を発見。リノベした最近めのオシャレデザイン。到着した時は3,4人程度の列ができていた。先に券売機で選んでから並ぶ。今回選んだのは一番人気の特製塩そばを大盛りで。

15分くらい待ってたら呼ばれた。外で待つけれど、日傘が置いてあったので、比較的快適に待つことができた。

 

店内のカウンターに通され、水を一口飲むともうラーメンが着丼。

 

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いや、色々のりすぎてる!すんごいうまそう!

チャーシューだけで4種類あるし、アスパラ巻き?!肉団子も乗っててバラエティ豊かだ。見てるだけでも楽しい。

では、いただきます。ますはスープから一口。うぉ、うっま。包括的旨さ。いろんなものの旨みだけが混ざってる感じで、一概に何の美味しさか言えない感じ。ものすごい美味しい。んで、こういうスープは旨みに特化してて塩分強めのガツンとくるタイプが多いんだけど、これはまろやかで攻めっ気がない。優しく包み込む母のような旨み。

 

続いて麺。小麦の香りなんだけど、よくあるのとは違う……何だろ、炭火焼きの小麦みたいな感じ。これかなり好き。

4種類のチャーシュー&アスパラ巻きは全部が違う味。4回分新しい味を楽しめるのは味の飽きを一切感じさせない。レンゲで小さなラーメンを作って食べるのがおすすめらしいが、それで毎回別のラーメン作れちゃうのは楽しすぎる。シンプルうまいし、楽しみも提供してくれるとか最強か?あんまりにも旨すぎ&味変でずっとにやけてしまう。

柚子が香りまでよくしてくれているし、メンマは甘みがすごくてもしかしたらこれが一番感動できるくらいに美味しい。煮卵も味染みてうめぇ……ちょっと総合的に全部うまい。ここ数ヶ月の、いや、今年でワンチャン一番美味いまである。

 

ひっさしぶりにスープまで完飲してごちそうさまでした。

も〜のすごい美味しかった。これは何度でも来ます。まぁ強いて言うなら立地が……駅から遠すぎてアレだけど。それ以外に文句のつけどころもない、人に勧めまくりたい美味しいラーメンでした。

 

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「アルジャーノンに花束を」を読んだ後にヨルシカの「アルジャーノン」聴いてみる

以前「華氏451度」を読んだ時、その後に小説をモチーフとしたヨルシカの楽曲「451」を改めて聴いて感想を綴った。

この間読んだ「アルジャーノンに花束を」は、451と同様に「アルジャーノン」という楽曲をヨルシカが出している。せっかくなので、こちらも読後にその楽曲に対する感想が変わるのか確認してみようと思った。

 

451の時とは違って個別に感想を残していなかったので、まず読書前に抱いていた感想を大まかにまとめておく。

しっとりした歌だな。アルジャーノンは知らないけど、人生を歌ってそう。「ゆっくりと変わっていく」ってところで人生に似てるな、なんて思った。特に感慨深いこともなく、落ち着くいい曲だ〜って感じ。

 

ーーってのが読了前の感想。以下は、読後の感想である。

 

最初は楽曲だけ聴いた。その時にはあまり「アルジャーノンのことを語ってなくないか?」とはっきり思った。パンや迷路などの関連するキーワードが散りばめられてはいるけど、それだけ。特に気になるのは「ゆっくりと変わっていく」の部分。小説でのチャーリィとアルジャーノンの変化は成長も劣化もどちらも急激だ。とても「ゆっくり」なんて副詞が付く事象じゃない。

そこに違和感があって、「小説もなぞりながらも、それを人生に当てはめた曲なのかな」なんて思った。おばあちゃんとかに宛てた曲みたい。

 

そんなことを思いながらPVを見る。

そこで違和感。あれ?このPVは余りにもアルジャーノンじゃないか?想起する要素も粘土人形も、巻き戻しの早さも。それらの数々の描写が余りにも小説をなぞる。おかげでじんわりと涙がこぼれそうになる。あ、これみてらんない。あの時破壊された情緒の感覚を思い出す。うっわダメだ。泣いちゃう。

余りにもストレートにチャーリィのことを語っている。迷路が大小2つあるのは、「博士から見たらどちらも同じ実験動物」ということの暗示だし。粘土がだんだんと人型になるのは、「人間になること」をストレートに表している。こんなの読後に見てメンタルに来ないことは中々ないぞ。

 

それにしてもストレートに小説まんまだった。でも、歌詞だけなら少し違和感がある。何か少しズラしているように思える。この違和感はなんなのだろうか?一体この曲は誰に向けた曲だったのだろうか……?

 

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2期もよふかしの特別感が良かったです【よふかしのうた 2期】

「よふかしのうた」という漫画がある。「だがしかし」で有名なコトヤマさんの漫画作品で現在完結済み。

同名のCreepy Nutsの楽曲である「よふかしのうた」がモチーフである。夜に生きる吸血鬼の少女と現実に生きづらさを感じる中学生男子のラブコメで、僕はこの作品の醸し出す「夜」の雰囲気が非常に好きだった。なので漫画も読んだし、アニメ一期も見たし、何よりコトヤマさんのイラストには独特の色気があってそれも好き。ということでかなり好きな作品である。

 

なので、アニメ2期が来た時には「え、絶対みよ」となった。1期がさぁ、なんか尺の都合か尻切れとんぼみたいな中途半端なタイミングで終わっちゃったんだよね。最初の方は良かったんだけど、後半なんかちょっと面白くなくて……すごい勿体無いと思ってたから嬉しいよね。

んで、始まった2期。う〜ん最初からめちゃ良い!ナズナちゃんとコウ君の関係性が……Good。それを彩る鮮やかな夜。彼らには実際に夜がこう見えているんだろうなって感じがして良い。これこれ!この雰囲気が好きなんすよ!ちょっと背伸びしてタバコ吸うような独特の雰囲気!それを引っ張ってくれる異質な女の子。この、CreepyNutsの楽曲をそのまま落とし込んだような味が好きなんだよね……

 

1期の時は後半になるにつれて「う〜ん……」って感じだったけど、2期はあまりそれを感じなかった。シリアスだけじゃなくてギャグもあって、コウくんの中学生感もよいし、メリハリがはっきりしているので、見ていて飽きない。話も探偵さん(めちゃくちkゃメロい)を軸に進んでいくから「結局なんなん?」みたいな感想を抱かない。しかも結局みんな良い子ちゃんだからね。ハッピーエンドになってくれて嬉しいよ。

 

んで最後にはナズナちゃんとコウくんのいちゃつきを見してくれる。あ、供給あざす。これ頼んでたものそのまんまです。星空が綺麗で素晴らしいです。まるで二人の行く末を暗示しているかのような輝きです。

どこか特別な誰かの夜。その独特でちょっと悪いことしているような、そんな気持ちにさせてくれる良いアニメだったと思う。これなら3期もあんじゃねぇの?真昼君の話だよね?次確か。そこも楽しみだね。

 

 

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でもでもだって、折角なら人に見られたいだろう?

僕はYoutubeをやっている。チャンネルを2つ持っていて、1つは3年ほど続けているゲームチャンネル。もう1つは今年の始めに投稿を始めた動画勢Vtuberチャンネルだ。

どちらもそこそこ人に見られていて、そこそこ反応が貰える。それだけでもかなり有難いし、趣味の延長なので見てくれる人が居なくても続けるだろうことを思うと、そうやって来てくれる人が居るだけで有難い。

 

僕がこのYoutubeをやっているのは、自分のためだ。自分が観たいと思う動画を作ることが目的だし、自分の人生をより楽しくするためのきっかけとしてYoutubeをやっている。なので、誰も見てなくても続ける。

でも、人にいっぱい見られた方が嬉しいというのは当然そうだ。出来れば見られたい。一応編集とか頑張ってるのだから観られたいのは当然と言えば当然だろう。だいたい全く自己顕示欲が無いならYoutubeなんてやってるはずない。一人で勝手に動画作って、勝手に一人で観てニヤニヤすればいい。

 

そうは言ってもあくまで最大の目的は「自分が楽しむこと」内在的モチベーションが最大で自己顕示欲はその次。じゃないと、自己顕示欲に支配されたらそれは気持ちいいかもしれないけど、楽しくはなくなる。僕の人生の目的は「楽しむこと」だから、自己顕示欲が勝ると目的が変わってしまう。

なので、宣伝は最低限に。来てくれる人には感謝して、それ以上積極的に広げることはしない姿勢でYoutubeを続けていた。

 

しかし、先日少しだけ自己顕示欲に負けた。

3年も継続していた縛りプレイが一区切りついて、めちゃくちゃ頑張ったんだから流石に人に見られたい!と思っていつもより宣伝もして、「ハイプ(Youtubeの新機能。オススメみたいなやつ)お願いします!」と媚を売った。結果として、いつもの1.5倍くらい観て貰えた。

これで結果が出なければ、今まで通り、宣伝は最小限で慎ましく続けよう。となったのだけど……宣伝を行うことでしっかり効果が出てしまった。このことから考えられるのは至極簡単。当たり前の結論。

 

観られる努力をした方が観られる。

 

当たり前。言われたら誰だって「そりゃそう」と答えるだろう。でも僕はうっすらと目を背けていた。僕如きがそんなことしても効果ないから、宣伝なんてしなくていいよ、と。

あー、もっと観られるための努力をするべきだったな。なんて思った。さっきの言葉をそのまま裏返すと、「観られる努力をしないと観られない」。いくら自分のためであって、自己顕示欲は二の次でも、今のインターネットでは、その努力をしないと人に気づかれることも無いのだ。

つまり、僕の動画を知って「面白い」と思ってくれるかもしれない人は、僕が頑張って発信しないと、僕を知ることすら出来ない。そんな人に観られて「面白い」と思ってもらえるには僕が観られる努力をしなくちゃならない。

 

それって自己顕示欲なのだろうか?僕を応援してくれて、「もっと有名になって欲しい」と言ってくれる人たちもいる。その人たちの言葉を実現するには、僕の観られる努力が必要だ。果たしてそうやって知られる努力をすることは、ただただ自分を観られたい!と言うだけの感情なのだろうか?

考えることがぐちゃぐちゃになって、僕個人としてどうしていくのが正解なのか、分からなくなる。

 

ーーでも、折角なら人に見られたいだろう?

そのためには努力が必要、ということは明確に分かった。その努力のモチベーションは自己顕示欲だけじゃないことも理解した。それなら、努力するべきじゃなかろうか?

と言ってもあくまで「楽しめる」範囲だ。僕の活動の至上命題が「楽しむこと」であるのは変わらない。その範囲で、もう少し人に観られる努力をしてみようと思った。

 

 

 

 

「にんげん」として見られていない【アルジャーノンに花束を】

 

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最近、仕事の休憩時間に読書をすることが増えた。今回呼んだのは「アルジャーノンに花束を」不朽の名作として語られる作品だ。僕の好きなアーティストであるヨルシカが「アルジャーノン」という楽曲を出していて、そこから興味を持った次第だ。このひとつ前に読んだ「華氏451度」と経緯は同じ。

境界知能である主人公のチャーリィ・ゴードンは知能を向上させる外科手術を受けることになる。手術は成功に着実に彼の知能は上がっていくのだが……ってお話。

 

以下、ネタバレあり。

 

 

まずビックリしたこと。

アルジャーノンってネズミだったんだ……これ読むまで人名だと思ってた。いや無知ですみません。

 

本書の面白いところはいくつかあるが、まず触れるべきは精神遅滞者の描写だろう。みょうにリアルで生々しい。世界がぼんやりと見えるような、白昼夢のような描写。僕には想像することはできるけど、共感はできない世界だ。

そこから加速度的に賢くなるチャーリィの描写も凄い。いくら賢くなっても情緒はまた別、というのがありありと描写されている。そこは読んでると苦々しい若い頃の過ちを思い出す。

 

賢くなったチャーリィの頭で知覚する世界は以前の彼が思うほど優しくはなかった。悪意、エゴ、見下すことはどこにでもあり、それはどんな人間でもそうだ。それを彼は認識する。特に皮肉だと思ったのは、彼が無意識に精神遅滞者を笑っていたシーン。「にんげん」として扱っていなかった。あぁ、そうか。元々そうだった彼ですら意識しなければ嘲笑ってしまうのだから、もうどうしようもないな、と思ってしまう。

この描写はチャーリィがどんなに賢くなって他人より優れていても、悪い意味で同じ人間であるように見えた。

度々彼は、以前の自分が「にんげん」として扱われていなかったと独白する。この描写は多くの人間が共感することだろう。人間なら社会のどこかで必ず劣等感を抱く。それを拡大解釈して自分に当てはめると「これ私の事だ」ってなるんだと思う。

 

個人的に涙をこらえる事が出来なかったのは母、妹と会うシーンだ。母は認知を患っていて、変わってしまったチャーリィをうまく認識出来ない。そこがまず辛い。自分のことを正常と思ってる、そこの読者。お前らだってこうなるんだぞ。そしてこれでもちゃんと人間なんだ。って指摘されてる気持ちになる。

さらにキツイのは妹と話すシーンだ。チャーリィは「自分が賢くならなかったら彼女は僕を歓迎してくれなかっただろう」と言う。妹は「母の介護が辛い。あなたが来てくれてよかった」と言う。これが意味するのは、妹はチャーリィへ妹が過去にやった行為など忘れて、今、自分を助けてくれる人間として兄を求めていることである。これが昔のチャーリィを否定しているようで、苦しかった。見てられなかった。自分を「にんげん」として見ていない肉親の言葉は情緒を酷く乱す。読むのがキツかった。

 

チャーリィは最終的にもとの知能に戻る。それはきっと誰にとってもバッドエンドだった。本書を読んだ感想によくある「頭の悪い方が良かった」なんてのは前半しか読んでない奴からしか出ない感想だ。実質的なアリスとの別れを、誰が良かったなんて言えようか。いいわけあるか。チャーリィは自分が他人からは「にんげん」として見られなくなることも分かってる。そして、それでも人間であることも分かってる。だからこそこの衰退は多くの読者にとって辛い結末だ。

 

と、あんまり良さげに聞こえないことばかり書いているけど、ここ数年読んだ小説で一番よかった。面白かったではなく、良かった。読書体験としてこの本を読むことが出来てほんとに良かった。そう思う本である。

 

最後に、僕はチャーリィに対して賢い時もそうでない時も、どちらも共感出来なかった。ならおそらく僕は、その中間の、大勢の登場人物と同じなのだろう。そんな自分が精神遅滞者を「にんげん」と見ているか……そんなことを考えて少し落ち込んだ。