こんちゃー、ロタールです。
今日の話はヨルシカの新アルバム「創作」内の1曲、「強盗と花束」について。
この曲、めっちゃ僕に刺さったので。
「創作」について
さて、「強盗と花束」について話す前に「創作」についてちょっと触れていきたい。
このアルバムに含まれる曲で、アルバム発売前にYoutubeで公開されていたのが「風を食む」と「春泥棒」の2曲。
もちろんこの2曲は事前に聴いていて、「春泥棒」はまぁ好きだけど、「風を食む」はあんまり刺さんなかったなという感想。
なので「今回はこういうタイプの曲が多いアルバムなのかな?それならまぁ気が向いた時に聴くとかでいいか」ってなった。
全アルバムである「盗作」が個人的にはめっちゃ好きな曲多かったので、それとは違うテーマで作ったからあんまり自分には刺さらなそうなのかな?とか思ってた。
これが、聴く前に思ってたこと。
でもちょっと調べてみると、どうやらこのアルバムは「盗作」と同時並行で作られたみたい。結構繋がりを意識してるみたいである。
「強盗と花束」について
そんな感じで正直あんまり刺さりそうな曲は無さそうだなと思いながらも好きなアーティストなのでとりあえず聞いてみた。
どの曲もいい感じで好きではあるんだけど、こう、心臓にズキューン!と来る感じはしないな。
と思いながら聴いていたその時、「強盗と花束」が流れ始めて、ロタールに電流走る。
入りのメロディー聴いて、「あ、これ好きなやつやな」ってなる。
歌い始めを聴いて最初に抱いた感想は「こんな歌い方もできるんだ」
今までとは一味違った歌い始め。ちょっとブラックな感じというか、ひとつ大人になった雰囲気というか……
最後まで「あー、好きだわこれ」ってなり続けてた。
思想犯との対比
「強盗と花束」は何かしらの要因によって犯罪を犯してしまった男の歌。
この要因については、様々考察できてそれが面白いので割愛するけど、1つあげるなら、一人称が「僕」と「僕ら」の2つが使われているのがキーだと推測する。
んで、前アルバムの「盗作」には、この曲と対照の罪を犯そうとして犯せなかった男の曲がある。
それが「思想犯」。
完全に個人的な推測だけど、「強盗と花束」と「思想犯」は対比になってるんじゃないかと思う。
2つのアルバムは対比を意識して作られたって話だし、この2曲がある意味対極にある曲なんじゃないかなと思う。
これを意識しながら聴くとさらに好きになるかも知らんね。