lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

何が楽しいかわからない老後

先日、父方の祖父母の家に行った。

年2回ペースで会うけど、おばあちゃんの方は認知症で僕のことはおろか、僕の父(おばあちゃんからすれば息子)のことも覚えていない。

これが精神的につらいって話はこの間したんだけど、おばあちゃんに関して僕はずっと感じていることがある。

 

何が楽しくて生きてるの?

 

僕はもう数年おばあちゃんが笑っているのを見たことがない。

誰か近所の人とお話したとかそんな話も聞かないし、ボーッと1日が過ぎていくだけの毎日に見える。

座り込んで何か食べて、適当にテレビを見て、そんで寝る。

そこに笑顔は存在しないように見える。腹を立てるシーンは見たことあるのに。

昔の毎年おせち作って、祖父母の家に行くたびにお手製の料理を振舞ってくれたころを僕が覚えているせいで今のおばあちゃんがより一層つまらなそうに見える。

 

お盆の親族が大集合のタイミングですら笑えないなら、もうどこで笑うというのか。そんなん、何が楽しくて生きてるのか僕にはわからない。

いや、そんな煩雑な思考をはさむことすらできないのかもしれないけど……

 

ちょっと非情かもしれないけど、僕はこうはなりたくないな、と思うわけである。

仲のいい人間もおらず、一緒に住んでいるおじいちゃんのことすらたまに忘れ、したいこともなく、ただぼんやり生きている。

今の多感な僕からしたら「それって生きてるって言えるの?」とか思ってしまうわけである。身内なのに他人事みたいな視点でいろいろ言ってる自分にちょっと気持ち悪さを覚えながらも、でもこうはなりたくないし、これ以上関わりたくないとも思ってしまう。

 

もう僕のことは分からないおばあちゃんを見ると、そんなことを考えてしまうから帰省は憂鬱なのだ。