今回で最後のn-bunaさんの2ndアルバム「月を歩いている」から好きな曲を紹介するシリーズ。今回は「歌う睡蓮」
前回までに紹介した「ルラ」「三月と狼少年」はまず歌詞について、言及していたわけだけど、この曲に関してはまず聞いてくれってカンジ。
「透明エレジー」のような疾走感のあるギター(?)に「一人きりロックショー」の要素をちょいと混ぜたような。そんな雰囲気の素晴らしいメロディーとなっております。
……って、こんなのn-bunaさんの楽曲を知っている人にしか伝わらんね。とりまこの2曲はYoutubeで聞けるのでどうぞ。
まぁ、この2曲の要素が混ざった感じなの!めちゃよいの!
んで、この曲の歌詞に触れていくわけなんだけど、正直に申すと、メロディーにいい感じに合う歌詞をとってきた感じがする。とりまメロディー優先でそこに歌詞をくっつけたみたいな。そんな感じ。
ただ、だからといって歌詞のクオリティが低いわけじゃなく、サビの歌詞とか少ない言葉で情景を思い起こさせるいい歌詞だと思う。
「掠れるセイレーン
まるで映画みたいな原風景には
歌を歌っている君と三半規管、揺さぶる酩酊」
あ、ちなみに元になっているのはセイレーン、人魚、転じて人魚姫だと思う。
多分モチーフはそこまで重要じゃない。この曲においては「歌を歌う彼女」をどれだけ描写できるかの方が重要だと思う。その彼女の美しい歌を例えて「セイレーン」
――んで、人魚姫につなげるのは多分これが「ラブソング」であること。
視点は、歌を歌っている彼女を見てしまった人が、彼女が恋しくて、どうしても忘れられないってカンジだと思う。
つまり童話の王子様側の歌だと思うんだよね。どちらかというと「姫」寄りの歌が多い中、正反対の位置から見た歌なのはおとぎ話という縛りの中でも生まれる多様性かな。
そんで、この情景をイメージして聞いてみると、メロディーがこれに合ってんだよな。すげぇ。
ちなタイトルの「歌う睡蓮」は「セイレーン」と韻を踏んでるんだと思います。知らんけどエモいね。
一旦これで数日続いた「月を歩いている」に関する記事は終了。これらを読んでちょっとでも興味が出ればアルバム買って聞いてみて。あと、ヨルシカも聞いてみて。n-bunaさんの時代の良いところはしっかり引き継がれてるから。米津玄師さんみたいな大幅な作風の変化は起こってねぇから。ぜひぜひどうぞ。
注
ここに書かれていることはすべて僕の感想です。