lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

僕の幸せは10万円

「あなたは今幸せですか?」

 

こう聞かれたらどう答えるだろうか。僕は「幸せです」と答えるだろう。

まぁもちろんきついことも面倒なこともいっぱいあるけど、基本的に笑顔でいれるので「幸せ」と言って差し支えないだろう。

うむ。大事な人も、人生かけてやりたいことも、将来の明確なビジョンもないけど幸せだと思う。……こんな言い方してたら「自分に幸せって言い聞かせてる」ように見えるかもだけど、幸せだ。

っていうか行きつけのラーメン屋で一杯食べるだけで幸せと感じられるのだから、よほど悪いことがない限り、基本的には幸せなのだ。

 

じゃあ、この幸せに値段をつけるならいくらか?

 

僕はこんなことをふと思った。

幸せに値段なんかない!!って綺麗事は投げ捨てるとして、実際に値段をつけるとしたら何を基準にするべきだろうか?

これまでの人生でかかってきた金額。それとも楽しいことしてる時の金額。友人に金額をつけて、その友人といる時間を時給換算にでもしてみる?

どの方法もまぁ幸せを考えるうえで一理ある視点だとおもうけど、僕が最初に思ったのは「生活費」だった。この場合の生活費は娯楽などにかかるお金も含めた月に使う金額だ。

 

生活費は生きていくうえで最低限のものと、娯楽に分けられる。これはたぶんどちらも幸せの条件であり、娯楽と生活。この二つの金額のバランスが取れてないと幸せは成り立たない。

娯楽に全くお金を使わない人は、他に何か特別なものがない限り、他人から幸せそうには見えないだろうし、たぶん本人もそんな生活には飽き飽きしてるだろう。

逆に娯楽にしかお金を使わないのは、正直言って成り立たない。たとえば、家賃とかその他もろもろ全部ギャンブルにつぎ込んだ人は生活が出来なくなるでしょ?一時的にはなんとかなっても、それを継続するのは不可能。それにギャンブルして一時的に幸福でも、終わったらお金のない現実に押しつぶされそうになる。それって幸せではないと思うんだ。

ってわけで、僕はこの二つの要素を兼ね備えた生活費は幸せの金額としては中々妥当なんじゃないかと思ったわけである。

その人の感じてる幸せを金額で表すとしたら、これがちょうどいいんじゃないかな。だとすると、僕の幸せの金額は月10万になるわけだ。まぁここには大学の学費が入ってないから、それを入れるともうちょっと高くなるけど、まぁそれくらいの金額で生きている。

 

10万の幸せ。

――んー、そう聞くとやすっぽいなぁ。まぁ同じ10万でも同じように幸せ感じてるわけじゃないし、そんなのなんの尺度にもならないと言われれば、それはそうなんだけど。

 

でも、10万の幸せ100万の幸せって言われたら、そりゃ100万の方が幸せだよね。うん。これは多くの場合にみんな納得してくれるんじゃないかな。

 

お金はあった方が幸せだけど、ない方が幸せということは早々ないもんね。