lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

思った以上に覚えてない

同窓会の「あの時あれでさー。あーあったねートーク」の時間。あの時間は過去を懐かしむのが目的であって、そのためには共通の過去が必要である。

 

先日高校の同窓会があり、そこで3年次のクラスメイトとそういうトークをした。……んだけど、僕は想像以上に何も覚えていなかった。漠然と高校は精神的にキツかったけど、周りの人間はいいヤツばっかでどちらかと言えば恵まれていたと、記憶している。今でも付き合いのある友人もいるし、ちゃんと第1志望に合格してるし。……このようにいい思い出として記憶しているはずなのに、旧友の話すエピソードに心当たりがない。確実に僕もそこにいたはずなのに、「なんそれ聞いてない」状態。水を差す訳にも行かないので、うんうんと相槌だけはしっかり。

 

そんな同窓会の帰り道。全然食べ足りなかったのでコンビニで弁当を買って家に。

改めて、そんなに覚えてないことあるか?って疑問に思った。仮にも3年間いた空間なのだ。具体的なエピソードがどれも思い出せないなんてことあるだろうか。

経験上こういう覚えてない時は、マジで知らない以外には2パターンしかない。嫌なことだった時か、どうでもよかった時だ。まー高校は精神的に辛かったので、それに巻き込まれて忘れてるパターンはあるかもしれない。でもだとしたら旧友をいいヤツって認識してるのは変だし、そもそも同窓会には顔を出すなよ、と思う。だからまぁ、少しは影響あるかもだけどこれが理由とは考えにくい。

 

となるとどうでもよかったになるわけだが、まぁ高校卒業してから連絡取ってないし、どの大学行ったのかすら把握していない相手も何人かいたので、客観的にはそう見えても何らおかしいことは無い。

なんつーか、そこまで関わらずに表面的な付き合いしかしなかったから良いところしか見えなかった的なのなんだろうか?だからいいヤツ止まり。悪いとこ全然知らんし。

それともいいヤツってのはどうでもいいヤツを一括りにしただけだったり……とか?あーなんかありそう。僕の性格上ありそう。無意識そういうことやってそう。意識的にいい人であろうとしてるけど、根っこのところで他人に興味無い僕なら、そういう風に括っていたとしても驚きはしない。

 

覚えてないってのは、無意識にどうでもいいと思っていたからかもしれない、とそう思ってしまった。僕は僕をいい人にしておきたいから、あんまり認めたくはないけど、それを否定する材料もない。だとしたら本質は昔から変わっていないのかもしれない。今も昔も、根っこで他人に興味がない。