ある学生の朝の話だ。
彼は朝、めちゃくちゃ起きられなかった。もう眠くて眠くて、布団から出たところで寝てる、トイレで寝てる、着替えながら寝てる、通学中のチャリの信号待ちで寝てる……
そんなに起きられないと、遅刻常習犯になるのは必至。クラスからは大体二時限目から来るやつと思われるようになった。
しかし彼の両親はそれを許さなかった。激しく叱責し、「絶対に寝坊しないで学校に行く」と宣言させた。最初は彼も頑張った。寝ながらチャリ漕いで学校へ向かった。しかし無理なものは無理である。どんなに激しく叱責されようと、一週間もすれば元通り。いつしか「もう遅刻しない」と宣言しつつ、内心無理だろう、と諦めるようになった。怒られるのは嫌だけど、どうしようもないと諦めた。
ちなみに彼は数年後、睡眠外来で「概日性リズム障害」と診断された。今は薬を飲むことで遅刻もせず一般的な生活を送っている。
そんな学生は歳を取り、社会人になった。それなりにしっかりしてきたけれど、抜けてるところがあって仕事で時々ミスをする普通の社会人だ。
そんな彼はまたミスを犯した。そこまで大事になるような失敗ではなかったが、原因は自らの不注意によるものだ。
しっかりと反省し、改善策を提案し、対策も具体的に立てた。しかし、「もう起こりません」と言えなかった。
苦し紛れに吐き出した言葉は「今後発生する可能性は限りなく低いです」だった。別に客先での会話ではない。この言葉がきっかけでまた責められることはない。客観的に見れば、もう起こらないと言えるくらいの対策だ。……しかし、それでも「もう起こらない」と断言することができなかった。自分が報告を忘れたら、自分が見逃していたら……他人の目も入っていても尚、その不安から言えなかったのだ。
ーー自分に対して断言ができない。
いつからこうなのかは意識もしてこなかったからわからないけど、いつからかこうなってしまった。この原因を考えた時、思い起こされた記憶が学生の頃の朝だった。もちろんそれだけではなく、日常の中のちょっとした物忘れや失敗、不注意の繰り返しで今が形成されてきたのだろう。だが、最大の原因はそれ……なのかもしれない。
こんなことですら断定できない。自分の将来の行動と結果に対して「こうだ!」と断言できない。
こんな姿勢が、今の将来があやふやな自分を作り出したのかもしれない。自分がどうなっていくのか、それを他人に語れない。「どう在りたい」を「こう在る」と言い切れない。
ーーどうにも、つまらない人間になってしまったものだ。