lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

我儘が言えるか

聲の形という漫画を読んだ。その感想については別の記事で語っているからここでは省略するけど、その物語の中のキャラクターはみんな我儘だった。基本的にみんな自分を優先させている。人のためと言う自分のため。そんなキャラクター達を見て、ふと思った。

――僕は我儘を言うことができているだろうか?

 

我儘って基本的にいいイメージのない言葉だ。その人のことを子供っぽいって思ってしまうし、「あの人自分勝手で……」みたいに言われているかもしれない。

でも、最近ある程度は「我儘を言えないと周りから軽んじられるな」とも思った。我儘すぎるのはダメだけど、我儘を全く言わないのもダメ。ほどほどに我を出して、ほどほどに協調する。それが社会でうまく生きるコツなのだろうと、雑談をしているときにふと思ったりした。

なので、我儘を言うという行為はある程度快適に生きるためには必要なのだ。我儘を言って、他人とぶつかって、そんで関係を前に進める。そんなキャラクター達を見ると、青春に対するうらやましさのようなものと同時に、「自分がその立場に立たされたとて、穏便に済ませて相手とぶつかろうとしないんじゃないか?」とも思うわけだ。

 

社会人になってからは我儘言うような相手はいないし、他人に対して我儘を感じることも少なくなった。そんな今の自分には他人とぶつかってでも我を通すことはできないんじゃないか、とそう思ってしまったわけだ。

だからと言って、それを今ある関係性で試す……と言うのも違う。必要もなく他人とぶつかる必要もない。

 

――そんなことを漠然と考えながら数日が経った。

まぁ、それはそれでいいのかな?と思い始めたころに、友人と遊びに行った。そんなことを考えていたせいか、自分の言動とかにちょっと意識を向けながら話していた。そんで一日友人と居て、自分の言動を鑑みて思った。

 

「なんか結構我儘じゃないか……?」

 

結構相手がどうしたいよりも、自分がどうしたいの上で相手がどうするかってのが多かったように思う。自分で思ってないだけで、今まで結構我儘だったんじゃないか?

いやでも……じゃあなんで僕は自分のこと我儘言っていないと思ったのだろうか?そんなことを考えてて、思い至った結論としては「我儘聞いてくれると思っている相手にしか我儘言わなくなったんじゃないか」である。つまり人を選ぶようになった。この人なら大丈夫と思わないと我儘言わなくなった。

 

――果たしてこれは成長なのか、妥協なのか……少なくとも今の僕には、青春群像劇みたいなことはできそうにないな……と言うことが分かった。これが「大人になる」ということなのだろうか……辛い思いすることは減るだろうけど、なんだか寂しいような気もする。