震災遺構を見に行きました【宮城旅行記8】
お昼ご飯を済ませて、今日最後に行こうと思っていた場所に向かう。ツレにレンタカーを運転してもらい、駅から30分ほど。段々と街並みも地方都市のそれになり、大きい丘のようになっている道路を抜けると辺りは全く何もない原っぱになっていた。
その原っぱにポツンとある4階建ての建造物。それが今回の目的地である。

――震災遺構、荒浜小学校。
2011年3月11日の大震災における津波の被害を耐え抜いた数少ない建造物の一つである。僕は当時、福岡に住んでいたので全く被害はなかったが、震災後に自分の地域に引っ越してきた友人がいて、なんとなく現実で起こったことなんだという実感を得ていた程度である。やはりここは見ておくべきだろう。知識ではなく、実感として震災を理解するには遺構は重要だと思う。

最初に目に入ったのは校庭の蛇口。一部が欠けていて、震災の時の姿そのままということを物語っている。奥には教室が見えるけれど、こちらはあとからじっくり見ることにする。

まずは裏から回ってみる。
窓の枠がひしゃげた厨房。これが水の勢いという事象だけで起こっているというのは、津波の危険性を後世に語る要素となるだろう。僕も知識としては分っているつもりだったけど、やはり実際に見ると感じるものがある。

鉄製のドアもこのありさま。
しかも海側に面したドアと言うわけじゃないので、側面からでもこのレベルのダメージを受けているということだ。ほんと人間なんてひとたまりもないだろう。

いよいよ中へ。これは1階の教室である。天井までもがボロボロと剥がれ落ち、あとには何も残っていない。今は何もないけど、当時はがれきの山になっていたらしい。その方が悲惨さと伝わると思うけど、流石にそれを残すわけにはいかなかったのだろう。


2階。この2階の足元まで津波が来たらしい。棚のところにクッキリと跡がついている。この後、当時の校長先生の話しているビデオを見たのだけど、そちらで語っていた内容が印象的だった。

屋上からの景色。水平線まで原っぱである。ここに震災前は家が並んでいたと思うと……悲惨さがよく伝わるね。小学校と言うよりは、この地域一帯が震災の遺構と言っても過言ではないのかもしれない。

震災後の地域はこの農園が活用しているそう。ちなみに震災以後、住宅用の建物はこの辺りに建てることは禁止されているらしい。それを活用しているのがこの農園とのこと。

倒れた二宮金次郎。
これだけでも震災の時の酷さを実感する遺構になっているが、近くにまた別の遺構があるらしい。そちらにも行ってみることにした。
徒歩でも5分くらいに行ける距離にある「仙台市荒浜地区住宅基礎」。ここには家が流された住宅の基礎だけが残っているそう。



本当に基礎だけが残っている。あと気になったのはトイレだけ残っていることが多い。狭い空間かつタイルで貼られているからなのだろうか……?
数本まばらに松が生えているけど、震災前は先が見えないほどの松林だったらしい。つまり残りは津波に流されたということか……ひたすらに恐ろしさを感じさせる。
津波の遺構。考えさせられるものが多いし、被災者からしたら見たくもない場所かもしれないけど、僕みたいな直接かかわりのなかった人間でも思いを馳せ、その悲惨さを認識するには重要な遺構だと思った。日本はこんな災害がいつ起こってもおかしくない地域だということを認識して、防災意識を高めていこうと思う。