数年ぶりに大先生に会いに行った。僕は小学生の頃から空手を続けていて、その先生だ。直接色々教えて貰っていた訳では無いんだけど、僕の先生の先生。つまり大先生という訳。
大先生と初めて会ったのは小学生の頃で、2,3年に一度は大先生から空手を教えて貰っていた。大先生の教える空手は本質的な技術が多くて、昔からすごく面白くて、好きだったんだよね。1つ例をあげると、大先生には金的が効かない。ね?これだけですごくない?その凄さを伝えるには文章だけじゃ難しいのでここでは省略させて貰うけど、本当にすごい先生である。
しかし、大先生は僕の先生の先生。つまりそれなりに高齢である。もう70は超えていたと思う。道着を着ていない時はしわがれたおじいちゃんって感じなんだよね。っていうか僕が初めて会った時すでにおじいちゃんだったので、マジで今は高齢者である。
でも道着を着るとなんだかな……達人のオーラをというか、そういうものを感じさせる人である。極めた老人って感じでスゴくカッコイイな……と思っていた。
そんな大先生に約2年ぶりに会いに行った。今回は大先生の最後のセミナーという話だったので、馳せ参じたのだ。
久々に会った大先生はやはりしわがれたおじいちゃんなんだけど、道着を着た時の風格は変わらなかった。相変わらず超絶技巧で、真似出来ない空手。超人である。
でも大先生の腕には妙に大きな血管があった。聞くとそれは人工血管だそうで、心臓まで繋がっているそう。毎日薬と注射をしており、力むと血管が切れて死にかねないから「程々にしてください」と医者に言われているそう。足も踏ん張りが効かなくなっている。
認知症の気配は全くないけど、その体はもうボロボロだった。
それでも大先生の空手は凄かった。体が衰えても出来るからこそ凄い。でも、老いには勝てない。ここまで空手を極めていても老いを超えることは出来ない。大先生の体はそれを物語っているようだった。道着を脱いだ時の背中は、僕の記憶の大先生よりも弱々しく見えた。
大先生はこの最後のセミナーを自分の技術を伝えるために開いたそう。大先生にとって、これは終活なのかもしれない。老いがそうさせるのが、なんだかとても悲しいことに思った。
認知症で何もわかんなくなることなく、大先生はしっかり自分の終わりを自覚している。僕から見てもそれがわかってしまう。それがものすごく寂しいことだな、と強く感じた。