lothar’s diary

社会人3年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

あとはいなくなるばかり

帰省して幼なじみと2人で飲みに行った。未だに親族を除けば一緒にいた時間が最も長いであろう相手だ。お互いの親族やら他の友人のこともよく知っている。

そんなやつと場末の居酒屋で焼酎とレモンサワーで語っていた。会うのは1年ぶりになるから話すことはそれなりにある。

 

「今年さ、うちのばあちゃん死んだんよ」

 

ある程度話に区切りがついて、グラスに手が行った時、そう切り出された。

彼のおばあちゃんはよく覚えている。僕も何度かお世話になった。彼の祖父母宅で納豆卵かけネギご飯食べたのは良い思い出だ。

そんな彼のおばあちゃんはしばらく前に大病やって寝たきりになっていたはず。彼いわく寝たきりになって9年とのこと。

いきなりの事だったらしい。二日酔いの休日の朝、いきなり母から「ばあちゃんが死んだ」と連絡が来たそう。仕事が忙しくて5年は会ってなかったけど、その時になってもう少し話しておけば良かった、なんて後悔した。

そんなことをしんみりと語った。僕も記憶の中で笑っていた人がもう二度と見ることは出来ないと言う事実に何も言えなくなる。

 

「やけんさ、俺は思うのよ。会えるうちに会える人には会っておこうって」

 

教訓のように彼は語った。実際それはその通りだと思うし、言われれば否定することは無い。でもそれをいざ行動に移すとなると色んな理由で後回しにしてしまって、事が終わったあとに後悔する……なんてありふれた話だろう。

ありふれた話なだけに僕にも当てはまるものは多い。忙しさを理由に後回しにせず、しっかりと向き合うべきことだ。

 

そういえば、あの人も亡くなったらしい。と彼は共通の知り合いの名前が出る。

僕はこれまで多くの人に出会ってきた。それも幸運なことに亡くなるという理由でいなくなった人は片手で数えられる程度だ。

しかし成人を迎えしばらくして、もうアラサーを迎えようという年齢。これからは段々といなくなる人の方が多くなるのかもしれない……なんて。

これからもまだまだ出会いの方が多いだろうけれど、そうやってどんどん新しい出会いは減っていって、最後にはいなくなるばかりになってしまうのだろう。そんなことを思ってじんわりと寂しくなる。

 

高齢者に対してはいつ死ぬか分からないから会っておこうというのは当然ではあるけど、死が訪れるのがいつになるか分からないのは、僕自身も、横にいる幼なじみも一緒だ。会えるだけ、会える人にはあっておくべきだろう。

新しい出会いが増えれば増えるほど、いなくなることは避けられないのだから。