lothar’s diary

社会人3年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

楽しいは理由になれどきっかけにならない

僕は「楽しいと感じるために生きている」。故に楽しいと思えることが1つも無くなる=死という認識で生きている。そーなったらマジで死ぬしかないと狂信している。この認識、他人からしたら変ということは認識しているけど、こうでもしないと既に死んでるだろうから仕方ない。思えばもう10年以上この思考で生きてるし、今更変えられるものでもない。

この認識の上で重要なのは「何が楽しいことなのか?」の定義だろうけど、ここは感情任せになる。僕が楽しいと思えば楽しいです。具体例ならあげられるけど、それをやると楽しいことをその範囲に縛ることになりかねないので、今は止めておく。この辺人によってはモヤるかもだけど、そんなものだと思ってください。

 

しかしだ。「楽しいこと」ってのは受動的に生きていると減ってくるものである。つまり何もしないと僕は積極的に死に向かうことになる。上記の認識をマジでしている僕だけど、無論生物の本能として普通に死にたくない。そのため、僕は自分が楽しいことを増やす努力をしなくちゃいけない。

三大欲求と同じノリ。これやんなきゃ死ぬからやるねってヤツ。

 

なのだけど、楽しいことを追求するだけだと、これまた楽しいことは目減りしていく。

とても矛盾なんだけど、楽しくなさそうなことでもやってみたら、意外と楽しいなんてことはしょっちゅうなんだよね。

僕は楽しいことのために生きているけど、楽しいだけじゃ生きていけない。やりたくなくても新しいことをしなくちゃ、新しい楽しいには出会えない。

 

「楽しい」は僕の人生における至上命題だけど、それを追求するだけだと死んでしまう。

楽しいから続けることは出来ても、楽しいから始める何てものはない。精々「楽しそう」止まりである。つまり楽しいことは、別の楽しいを見つけるきっかけにならない。

 

楽しい→他の感情→楽しい

 

基本これしか成り立たない。うーん、生きづらい。楽しいことをするために、楽しくないことが必要とは……矛盾のように見えるよね。

でもそういうものだ、と受け入れるしかないのかなぁと思う。とりあえず僕は死にたくないので、楽しいが無くても、色んなものに挑戦したり、触れてみたりしようと思う。そのうちに新しい楽しいことを見つけられると信じて。