lothar’s diary

社会人3年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

インターネットの薄い快楽に浸る

インターネットは素晴らしい!この電子の海には娯楽がごまんとあり、それは無限に供給され続け、絶えることは無い。しかも、そんな良いものが能動的に動かなくても、インターネットに居るだけで勝手に入ってくる!貴方が頑張らなくても色んな楽しい快楽が貴方を満たしてくれる。まさに楽園!ユートピア!さぁ、インターネットへ、もっと深く落ちていこう!

 

 

……まぁあながち間違ってない、と思う。インターネットは軽率に情報という快楽を得られるし、強い言説が自分を肯定してくれるし、自らの興味にあったコンテンツをいくらでも供給してくれる。それほど心地の良い場所なんて世の中でもそう多くない。これが自らコンテンツを発信する側になると、心地よいとは限らないけど、少なくとも消費者であるうちは基本的に苦労はない。

ちなみにここで言うインターネットとは、YoutubeとかTwitterみたいな所謂SNSのことを言っていると思って欲しい。

 

しかし思うのだ。果たしてインターネットの快楽はそんなに良いものなのか……?、と。

暗い部屋で四角いディスプレイから得られる情報だけを貪ることが、果たして人生で最大の快楽であるのか……?

確かにインターネットは心地よい。しかし、インターネットが人生の最大の快楽であるか?と聞かれたら「う〜ん、それはちょっと違うかも」なんて思う。

 

以前友人に「Vlogの面白さが分からない。あれの何がそんなに面白いのか?」と聞かれたことがある。その時の僕の答えは「本来ならば見られない景色や得られない経験を、自らが何もしなくても得ることが出来るから。つまり現実体験をめちゃくちゃ薄くして、誰にでも摂取出来るように加工したもの。刺激の薄い体験談」

改めて自分の発言を思い返すと、結構ズタボロに言ってるな。ただまぁ、「刺激の薄い」、「自らが何もしなくても」という部分は、何もVlogだけじゃなくて、インターネットの多くのコンテンツに対して言えるように思う。ちなみに僕はこの認識の癖に自分でVlogを作っている。……愚かか?

だからこそインターネットは「受け取る側に準備が要らない程度に薄くした情報の快楽を継続的に与えてくれる場所」なのではないか?

 

僕は絶賛インターネットの薄い快楽に浸っている。暇があればYoutubeTwitterばかり見ている。……さて、本当にそれで僕の人生は良いのかい?薄い快楽を継続的に受け取るだけが、僕の人生かい?

 

まぁそもそもこの考えには「インターネットの快楽が薄いのは逆で、めちゃくちゃ強いのでは?」とか「インターネットを見に行く時点で能動的なのでは?」みたいな穴がいっぱいある。しかしまぁ、インターネットを抜け出して現実を見るためのアイデアのひとつとしてはいいんじゃないかな?