lothar’s diary

社会人3年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

部長とのやりにくさが言語化されました

ある金曜の仕事中、前プロジェクトで一緒に仕事していた同僚からチャットが来た。

 

「飲みいきますか!(今日」

 

予定もないので快諾。30分くらいの残業で退勤。

もう1人前プロジェクトの方を含めて、3人で飲みに行った。今回は「餃子が食べたい」との事だったので中華を選択。ものすげぇうるさい町中華へ。

僕が4月からプロジェクトを移動したこともあって、お互いの近況とか、プライベートとか色々話した。この方々が多分会社で1番よく話すので、無論お互い知っていることが多い。話にもかなり華が咲いた。

 

んで、ある程度お酒が進んでくるとちょっと踏み込んだ話もするようになる。今回の踏み込んだ内容は査定の話だった。今の責任ならもうちょい評価高くてもいいんじゃないか、みたいな話。実際その人は仕事めちゃできるので、そんな愚痴が出るのも納得である。

そんな愚痴から上司の話になった。このブログでも何度か話題にあげている、個人的には中々コミュニケーションが難しい上司だ。彼はその上司にこう評した。

 

「𓏸𓏸さん、ちょっと話すと誇張して解釈しません?少し言うと、それを重大事件のように取り上げるじゃないですか。なので気軽に話せませんよね」

 

ーーまさにそれである。

あ、もう感じてたことドンピシャだ。今まで色々理由つけて自分を納得させていたけど、僕がこれまでに上司にたいして感じていたやりにくさの根幹はもうソレである。どこかで思っていたことすぎて、清々しいまである。

僕が話すこと全部誇大に捉えられるんだよね。少し言うとそれが10倍になって返ってくる。そんなの適当な発言ができるわけがない。下手なこと言ったらどんな風に解釈されるかわかったものでは無い。

 

それを綺麗に言語化したら、さっき同僚が言っていたことになるのだと思う。やりにくさの根本はそこだったのかもしれない。

ついでに言うと、それを感じていたのは僕だけでは無いということに少し安堵感も覚えた。ここに不満があったのは僕だけではなかったらしい。僕が変というか、僕が異常にコミュニケーションが下手という訳では無いというのが一定担保されたということだ。そりゃ安心するよ。

 

しかしそこをこんなシンプルに言語化できるのはさすがです。僕は色々考えているのにその結論至らなかったかなぁ。やっぱり他の人の意見って大事なんだな、と思いました。