ブログの毎日更新を始めて1100日以上が経過している。シンプルに3年以上毎日毎日律儀に夜8時に投稿している訳だ。過去の自分に言ったらきっと信じられないだろう。
ここまで大量にブログを書いていると、日記とそう変わらない。日々の出来事から出かけた場所、思ったことまで、僕の日々の大部分が網羅されている。なので、大抵の事はブログを確認したら何があったのか、僕が何を思ったのかわかるようになっている。
先日、友人とラーメン屋さんに行くことがあった。それで前に1回行ったことがあるラーメン屋さんを思い出した。確か美味しかった気がするけど、どんな味だったっけ?ちょっと思い出せない。
……気になったので、ブログに地名+ラーメンで検索。すると綺麗に以前自分が行ったお店の記事がでてきた。自分でも驚くくらいに丁寧にブログ書いてあって、どんな味が昨日食べてきたかのように友人に説明できた。ブログを見るまでその味の子細は完全に忘れていたのだけど、それを見るとかなりの部分を思い出せた。
他にも似たような例がある。それは沖縄のテーマパーク、「名護パイナップルパーク」の話になった時。個人的に面白かった記憶はあるのだけど、具体的に何があったのか思い出せなかった。そんな時にブログで検索をかけてみる。すると自分の行った時の記事が出てきた。おかけで、自分が何を面白がったのか全部書いてあった。おかげでその時のことを読み下すだけで鮮明に話すことができた。
そんな感じで、「なんだっけ?」となった時にブログを見ると大体載っている。特に上京してからの情報はほんとに全部そこにある。なので「なんだっけ?」となったらマジでブログを見たら全部分かってしまうのだ。
そこで思ったのである……なんかこのブログ、僕の脳みその外付けHDDみたいだな、と。
経験した時や考えたことは、意外と未来の自分の脳みそには残らない。泣くほど辛かったことや、精神的にめちゃくちゃ追い詰められた記憶すらも、消えることはなくても段々と薄れていく。
その詳細をこのブログが鮮明に残してくれている。おかげで僕は忘れていた記憶の欠片を拾い集めて確認することが出来る。自分の記憶を実際に検索することが出来てしまうのだ。
これは凄い事だ……なんてぼんやりと思った。これが日記をつけていた感覚なのだろうか?日記以上にすぐ特定の記憶を取り出せるから、外付け記憶装置としての能力はかなり高いと思う。
だんだん忘れていくものを取りこぼさないように、ちょっと大変だけど、これからもきちんと思ったこと、経験を残しておこうと思う。