完全に自由な時間は人生にあまり多くない
僕の日課は近所の公園の散歩である。在宅勤務ということもあり、ほとんど家から出ない僕の、健康に対する気休め。仕事の合間に10分程度、蝉の五月蝿い公園を1周する。
その間、特にスマホを見たりしないので色々なことを考える。仕事が詰まっていればその事で頭がいっぱいだし、しょうもない洒落を考えている時もあるし、人生に対して小難しいことを考える時もある。
その日考えていたことは3つ目に当てはまる内容だった。中学の同級生から子供の写真が送られてきた。どうやら地元の友人で飲みに行った時の写真のようだ。20代も後半に差し掛かり、どうしても『結婚』という二文字が脳裏に浮かんでくる。段々と、それを経てないと異常者と見られる年齢が近づいてくる。
それが近づくに連れて、やはり僕にも焦りが芽生える。「結婚をちゃんと考えなければ」というマトモに社会に迎合するための感情と、「まだ結婚したくない」という反抗が同時に存在している。
僕は今、「結婚したくない」。故に結婚する確率は下がるだろうルームシェアもしている。これには明確に1つ理由がある。
僕はYoutubeをやっている。視聴者はほとんど居ないチャンネルと、配信をつければ20人くらいは毎回来てくれるチャンネルの2つをやっている。僕はコッチが楽しくて仕方が無い。でも、結婚するとなるとこの活動を辞めねばならないのは容易に想像がつく。「そういうのに理解がある相手と結婚すればいい」なんて言われるかもしれないけど、そんな相手居るならこんなこと思ってない。
僕はこれが面白くて仕方ないので、結婚したくない。しかし、それと社会に迎合することを両立するなら……もう好きにそれが出来るのは数年しかないだろう。長く見積っても10年もない。
そう思うと、人生に置いて完全に自由な時間というのはあまり多くないのかもしれない。僕がこの活動を始めたのは大学4年の頃。20代の前半である。親の庇護下を離れて、何もかも自由になってから始めた。まぁ30の前半にはさすがに結婚を求められる社会の雰囲気に気圧されるだろうからほんとに10年ちょっと。人生100年時代に置いて、10年はあまりに短い。
僕に残された自由な時間は思っているより多くない。やりたいこといっぱいあるのに、大多数の他人が思う正しい人生のルートを外れないためには、このタイムリミットは越えられない。あと数年。参ったね。外れちゃいたいな、正しい人生のルート。