
最近、仕事の休憩時間に読書をすることが増えた。今回呼んだのは「アルジャーノンに花束を」不朽の名作として語られる作品だ。僕の好きなアーティストであるヨルシカが「アルジャーノン」という楽曲を出していて、そこから興味を持った次第だ。このひとつ前に読んだ「華氏451度」と経緯は同じ。
境界知能である主人公のチャーリィ・ゴードンは知能を向上させる外科手術を受けることになる。手術は成功に着実に彼の知能は上がっていくのだが……ってお話。
以下、ネタバレあり。
まずビックリしたこと。
アルジャーノンってネズミだったんだ……これ読むまで人名だと思ってた。いや無知ですみません。
本書の面白いところはいくつかあるが、まず触れるべきは精神遅滞者の描写だろう。みょうにリアルで生々しい。世界がぼんやりと見えるような、白昼夢のような描写。僕には想像することはできるけど、共感はできない世界だ。
そこから加速度的に賢くなるチャーリィの描写も凄い。いくら賢くなっても情緒はまた別、というのがありありと描写されている。そこは読んでると苦々しい若い頃の過ちを思い出す。
賢くなったチャーリィの頭で知覚する世界は以前の彼が思うほど優しくはなかった。悪意、エゴ、見下すことはどこにでもあり、それはどんな人間でもそうだ。それを彼は認識する。特に皮肉だと思ったのは、彼が無意識に精神遅滞者を笑っていたシーン。「にんげん」として扱っていなかった。あぁ、そうか。元々そうだった彼ですら意識しなければ嘲笑ってしまうのだから、もうどうしようもないな、と思ってしまう。
この描写はチャーリィがどんなに賢くなって他人より優れていても、悪い意味で同じ人間であるように見えた。
度々彼は、以前の自分が「にんげん」として扱われていなかったと独白する。この描写は多くの人間が共感することだろう。人間なら社会のどこかで必ず劣等感を抱く。それを拡大解釈して自分に当てはめると「これ私の事だ」ってなるんだと思う。
個人的に涙をこらえる事が出来なかったのは母、妹と会うシーンだ。母は認知を患っていて、変わってしまったチャーリィをうまく認識出来ない。そこがまず辛い。自分のことを正常と思ってる、そこの読者。お前らだってこうなるんだぞ。そしてこれでもちゃんと人間なんだ。って指摘されてる気持ちになる。
さらにキツイのは妹と話すシーンだ。チャーリィは「自分が賢くならなかったら彼女は僕を歓迎してくれなかっただろう」と言う。妹は「母の介護が辛い。あなたが来てくれてよかった」と言う。これが意味するのは、妹はチャーリィへ妹が過去にやった行為など忘れて、今、自分を助けてくれる人間として兄を求めていることである。これが昔のチャーリィを否定しているようで、苦しかった。見てられなかった。自分を「にんげん」として見ていない肉親の言葉は情緒を酷く乱す。読むのがキツかった。
チャーリィは最終的にもとの知能に戻る。それはきっと誰にとってもバッドエンドだった。本書を読んだ感想によくある「頭の悪い方が良かった」なんてのは前半しか読んでない奴からしか出ない感想だ。実質的なアリスとの別れを、誰が良かったなんて言えようか。いいわけあるか。チャーリィは自分が他人からは「にんげん」として見られなくなることも分かってる。そして、それでも人間であることも分かってる。だからこそこの衰退は多くの読者にとって辛い結末だ。
と、あんまり良さげに聞こえないことばかり書いているけど、ここ数年読んだ小説で一番よかった。面白かったではなく、良かった。読書体験としてこの本を読むことが出来てほんとに良かった。そう思う本である。
最後に、僕はチャーリィに対して賢い時もそうでない時も、どちらも共感出来なかった。ならおそらく僕は、その中間の、大勢の登場人物と同じなのだろう。そんな自分が精神遅滞者を「にんげん」と見ているか……そんなことを考えて少し落ち込んだ。