僕はYoutubeをやっている。チャンネルを2つ持っていて、1つは3年ほど続けているゲームチャンネル。もう1つは今年の始めに投稿を始めた動画勢Vtuberチャンネルだ。
どちらもそこそこ人に見られていて、そこそこ反応が貰える。それだけでもかなり有難いし、趣味の延長なので見てくれる人が居なくても続けるだろうことを思うと、そうやって来てくれる人が居るだけで有難い。
僕がこのYoutubeをやっているのは、自分のためだ。自分が観たいと思う動画を作ることが目的だし、自分の人生をより楽しくするためのきっかけとしてYoutubeをやっている。なので、誰も見てなくても続ける。
でも、人にいっぱい見られた方が嬉しいというのは当然そうだ。出来れば見られたい。一応編集とか頑張ってるのだから観られたいのは当然と言えば当然だろう。だいたい全く自己顕示欲が無いならYoutubeなんてやってるはずない。一人で勝手に動画作って、勝手に一人で観てニヤニヤすればいい。
そうは言ってもあくまで最大の目的は「自分が楽しむこと」内在的モチベーションが最大で自己顕示欲はその次。じゃないと、自己顕示欲に支配されたらそれは気持ちいいかもしれないけど、楽しくはなくなる。僕の人生の目的は「楽しむこと」だから、自己顕示欲が勝ると目的が変わってしまう。
なので、宣伝は最低限に。来てくれる人には感謝して、それ以上積極的に広げることはしない姿勢でYoutubeを続けていた。
しかし、先日少しだけ自己顕示欲に負けた。
3年も継続していた縛りプレイが一区切りついて、めちゃくちゃ頑張ったんだから流石に人に見られたい!と思っていつもより宣伝もして、「ハイプ(Youtubeの新機能。オススメみたいなやつ)お願いします!」と媚を売った。結果として、いつもの1.5倍くらい観て貰えた。
これで結果が出なければ、今まで通り、宣伝は最小限で慎ましく続けよう。となったのだけど……宣伝を行うことでしっかり効果が出てしまった。このことから考えられるのは至極簡単。当たり前の結論。
観られる努力をした方が観られる。
当たり前。言われたら誰だって「そりゃそう」と答えるだろう。でも僕はうっすらと目を背けていた。僕如きがそんなことしても効果ないから、宣伝なんてしなくていいよ、と。
あー、もっと観られるための努力をするべきだったな。なんて思った。さっきの言葉をそのまま裏返すと、「観られる努力をしないと観られない」。いくら自分のためであって、自己顕示欲は二の次でも、今のインターネットでは、その努力をしないと人に気づかれることも無いのだ。
つまり、僕の動画を知って「面白い」と思ってくれるかもしれない人は、僕が頑張って発信しないと、僕を知ることすら出来ない。そんな人に観られて「面白い」と思ってもらえるには僕が観られる努力をしなくちゃならない。
それって自己顕示欲なのだろうか?僕を応援してくれて、「もっと有名になって欲しい」と言ってくれる人たちもいる。その人たちの言葉を実現するには、僕の観られる努力が必要だ。果たしてそうやって知られる努力をすることは、ただただ自分を観られたい!と言うだけの感情なのだろうか?
考えることがぐちゃぐちゃになって、僕個人としてどうしていくのが正解なのか、分からなくなる。
ーーでも、折角なら人に見られたいだろう?
そのためには努力が必要、ということは明確に分かった。その努力のモチベーションは自己顕示欲だけじゃないことも理解した。それなら、努力するべきじゃなかろうか?
と言ってもあくまで「楽しめる」範囲だ。僕の活動の至上命題が「楽しむこと」であるのは変わらない。その範囲で、もう少し人に観られる努力をしてみようと思った。