以前「華氏451度」を読んだ時、その後に小説をモチーフとしたヨルシカの楽曲「451」を改めて聴いて感想を綴った。
この間読んだ「アルジャーノンに花束を」は、451と同様に「アルジャーノン」という楽曲をヨルシカが出している。せっかくなので、こちらも読後にその楽曲に対する感想が変わるのか確認してみようと思った。
451の時とは違って個別に感想を残していなかったので、まず読書前に抱いていた感想を大まかにまとめておく。
しっとりした歌だな。アルジャーノンは知らないけど、人生を歌ってそう。「ゆっくりと変わっていく」ってところで人生に似てるな、なんて思った。特に感慨深いこともなく、落ち着くいい曲だ〜って感じ。
ーーってのが読了前の感想。以下は、読後の感想である。
最初は楽曲だけ聴いた。その時にはあまり「アルジャーノンのことを語ってなくないか?」とはっきり思った。パンや迷路などの関連するキーワードが散りばめられてはいるけど、それだけ。特に気になるのは「ゆっくりと変わっていく」の部分。小説でのチャーリィとアルジャーノンの変化は成長も劣化もどちらも急激だ。とても「ゆっくり」なんて副詞が付く事象じゃない。
そこに違和感があって、「小説もなぞりながらも、それを人生に当てはめた曲なのかな」なんて思った。おばあちゃんとかに宛てた曲みたい。
そんなことを思いながらPVを見る。
そこで違和感。あれ?このPVは余りにもアルジャーノンじゃないか?想起する要素も粘土人形も、巻き戻しの早さも。それらの数々の描写が余りにも小説をなぞる。おかげでじんわりと涙がこぼれそうになる。あ、これみてらんない。あの時破壊された情緒の感覚を思い出す。うっわダメだ。泣いちゃう。
余りにもストレートにチャーリィのことを語っている。迷路が大小2つあるのは、「博士から見たらどちらも同じ実験動物」ということの暗示だし。粘土がだんだんと人型になるのは、「人間になること」をストレートに表している。こんなの読後に見てメンタルに来ないことは中々ないぞ。
それにしてもストレートに小説まんまだった。でも、歌詞だけなら少し違和感がある。何か少しズラしているように思える。この違和感はなんなのだろうか?一体この曲は誰に向けた曲だったのだろうか……?
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