大学時代の友人と数年ぶりに会った。買い物に付き合ってもらって、その後積りに積もった身の上話やら色々話した。
この数年、友人は色々やっていたみたいだ。仕事で辛いことがありつつも、環境を変えてそれを乗り越え、自分の楽しいことや、なりたいものになるために日々忙しいと話していた。
僕はその友人の話を聞いて、とても楽しくなった。自分のなりたい未来に対して、あれをやっている、これをやっているみたいなことをとても楽しそうに話すのだ。僕はそんな風に自分のなりたい未来を実現するために頑張っていて、かつそれを楽しんでいる人のことが好きだ。話を聞いていてとても楽しい。
聞いていると、僕も頑張ろうと思えるのだ。楽しそうに頑張っている人を見ると、僕もそうなりたいと思う。いや、僕の場合は楽しむことの方が最優先でなりたい姿になるのは二の次か。
楽しそうにそれを話しているのを見ていると思わず笑顔になる。僕も楽しい人生続けるために頑張ろうと思える。そう思わせてくれる友人がいることを有難く思う。
あと、友人の話でとても好きだなと思ったのは、なりたい未来を実現するために具体的に行動している事だ。夢を語るというのは誰にでもできる。そんな人は沢山知っている。……でも、そのために行動が出来る人はそう多くない。僕の周りには幸運なことにこの友人以外にもそんな人たちが居る。おかげで僕の人生は楽しくなっている。
しかも行動しているだけではなく、それを楽しんでいるのだ。そんな人の話が面白くないわけが無い。
こういう人はアイデンティティがどうとかで悩むこともないのだろう。そうやって悩むくらいなら自分のやりたいことをやる。そもそも悩むという選択肢がないのかもしれない。
……うーん、でもこうやって決めつけるのも違う気がする。友人は大学の頃には結構悩んだり苦しんだりしてる姿が多かったと思う。おそらく、表に出していないだけで悩んでることとかあるんだろうな。
そんな姿に素直に頑張れ、と応援したくなる。もちろん僕が言わなくても勝手にやってると思うけどね。
またしばらくしたら、こうやってご飯行って、やってきたことの話を楽しそうに聞かせて欲しい。その時には、僕も色々話せることがあるといいな。自分の楽しいことをきちんと人に伝えられる形にして、それを楽しんでいたい。
そのために緩く頑張って楽しもうと思える。またそのうち会おうと言って解散した。次会うのが楽しみだな。次はどんな楽しい話を聞かせてくれるのだろうか。
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書いているときに思い出した、今回とは別の友人