前の家とおさらば
新居に引っ越して、新生活が始まってから1か月。僕は今、前の住居にやってきていた。
理由は1つ。解約の手続きだ。本来なら引っ越しと同じタイミングでやりたかったんだけど、引っ越しが唐突に決まった&退去の1か月前には連絡をしなくてはならないというルールがあったので、こんなタイミングになってしまった。
1月前まで住んでいた家と言えども既に引っ越しで荷物は出しているし、インフラ周りも全部止めているので特に何か出来るわけでもない。がらんどうの部屋だ。今日で最後の活躍になるであろう玄関のカギを使って、なにも物がない家に入る。
……あっつ。今日は晴天の夏日ということもあってか、家の中は蒸し暑い。ちょっとしたスチームサウナとして実用化できそうなくらいには暑い。
居てもたってもいられず、窓を開け雨戸をあける。途端に夏特有の湿り気を帯びた風が吹き込む。こんな蒸し暑い家の中だと、普段なら気持ち悪いこの風でも気持ちがよい。差し込む太陽光で散ったほこりがキラキラと輝く。ひと月空けるとそれなりに埃も積もるらしい。このまま居たらアレルギーが出てしまいそうなので、窓を開けてちょうどよかった。
試しに電灯のスイッチを押してみる。……もちろん反応なし。まぁ電気止めているから当然だよね。いちおう忘れ物がないかあらかた確認。なんか洗面所に洗剤置いたままだったわ。これ持って帰ろ。
一段落して部屋の真ん中に寝転がる。解約の立ち合いが来る予定の時間まではまだ30分くらいある。僕は目を瞑り、夢うつつ。風と陽光がなんか気持ちいい午後だった。
意識を揺蕩わせていると、いきなり視界が明るくなる。目を開けると、電気がついていた。……あ~、点検用に一時的に電気通したのだろうか?あるよね、そういうこと。
それで目が覚めたので、大きく伸びをして立ち上がる。外から聞こえるのはガキの笑い声。ここ近くに小学校あるから、午後とか結構騒がしかったんだよね。
ピンポーンとインターホンの音が鳴る。どうやら立ち合いの人が来たらしい。扉を開けると作業服のおじさん。今日はよろしくお願いします。
おじさんは鍵を改修した後に、ざっーと室内を点検していく。ここで不備とか見つかったら僕の支払いが増えかねないので、僕も緊張の面持ちで見守る。
キッチンでおじさんが
「あっ……!」
「え?なんかありましたか?!」
「いえ、この包丁は……忘れ物ですかね」
――僕が包丁を忘れていただけだった。
これはハンカチで包んで持って帰るとしよう。
「――はい、問題ないかと思います」
点検が終わって作業員さんがそう告げる。特に問題なかったようだ。良かった。僕は書類にサインして荷物を持って扉を開ける。作業員さんはもう少しチェック&戸締りをしてから出るそうだ。
「あとよろしくお願いします」と言い残して部屋を立ち去る。もうこの扉を開くこともないだろう。二年間お世話になった住居。扉は夏の陽光が差し込んて、影をかき消していた。物悲しさも、恐らくかき消してくれているのだろう。僕の心は何だか晴れやかだった。