lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

「彼女いた方がいいよ」

 

職場のチームの皆さんで飲みに行った時、上司に言われたことである。

彼女はいた方がいい。居なきゃいけない訳じゃないけど、いた方がいい。作る気ないってのは勿体ないよ……的な話だったと思う。総括すれば多分そんな感じ。

 

まぁそうよなぁ……と思う反面、でも面倒臭いしなぁ……という考えもよぎる。

今までの人生で彼女がいたことは何度かある。でもそれは大抵成り行きで……みたいな感じ。なんか頑張って作ったとかでは無い。

その少ない恋愛経験で最も感じたのは面倒くささだった。相手がいるから満たされる……というのはない訳では無いけど、それよりも友人としての配慮とはまた別の、特殊な配慮が求められる関係が面倒くさかった。冷たい言い方になるけれど、恋人関係に対してメリットよりもデメリットが大きく感じた。だから今、積極的に恋愛をしようとしていない。

 

それはあんまり良くないと思うし、今の生活じゃ出会いなんて期待できないのだから自分から動かないと気がついた時には独身以上男性になってしまうのだろうという予感もある。同い年の友人が焦りを感じているという話も聞くんだけど、どうにも自分事になりきれない。

そこに対して一種の諦めのようなものもあるのに、いざ色々言われると考えてしまう。

 

上司からのその言葉は、社会通念上もそうだろうし、否定するような事じゃない。その通りだと思う。その通りだと思うんだけど……なんか心は動かないんだよね。

でも多分、仮にある程度仲良くなった女性がいたとして、その人から求められたら僕は断らないだろう。絶対に恋愛しない!彼女いらない!みたいな固い意思はない。でも興味が無いわけじゃない。僕はそんなあやふやで、宙ぶらりんな状態を数年続けている。

 

いつまでこの状態が続くのか?ほんとにこのまんまでいいのか?そもそも僕はこれから変わることはあるのだろうか?

そんな疑問、不安を漠然と感じている。社会人になった今、「彼女がいる」ということの意味合いは学生の頃と少し変わってくる。将来的に結婚が明確に見え始める。そうなるとそれは恋愛だけの話ではなく、一種の社会契約だ。相手が好きかどうかだけでなく「この人と家の共同経営者として上手くやって行けるか」的なのも重要になる。上司の言葉には、その契約について肌感として学んでおいた方が良い……みたいな意味合いもあるのかもしれない。それとも段々と出来なくなっていくであろう恋愛を今のうちにしておいた方が良い……的なことだろうか?

 

どちらにせよ「彼女いた方がいい」。それはそうなんだと思う。思うんだけど……まだ行動する気になれない。人間の悪い癖である。

 

美味しそうなノビルが生えてんすけどね……

 

ノビル。なんかそこら辺に生えてる野草である。島らっきょうのような辛味が特徴的な野草であり、塩漬けすると良い酒のあてになる。大学時代、野草にハマっていた……というか金なくて野草食っていた僕が1番おいしいと感じた野草である。

 

こいつが自生するのは冬~春。冬は若芽で柔らかいが、春になるとでかくなり辛味が増す。僕はこの辛味が増した状態の球根が好きである。

このノビル、地元ではなかなか発見できなくて、クソ田舎のあぜ道を早朝に散歩していたら偶然見つけて感動したわけなんだけど、自分の住んでいる地域には至る所に生えている。セイヨウヨモギと同じレベルでどこにでも生えている。とてもいいサイズのものも出てきて美味しそうだ。

 

……しかし、食指が動かない。なんか食べる気にならない。田舎のあぜ道とか、河川敷とかのやつはなんも気にせずに食べられるんだけど……こっちの住宅街に生えてるやつはなんか食欲わかないんだよね……多分美味しいんだけどさ……

 

住宅街の野草を食べる気にならないのは、横浜港で見た海の景色が根本にある。青の要素が皆無の黒い海。横浜やら東京で育った子供たちはこの黒い海が当たり前だと疑わずに大きくなるのだろうか……そう思うと少し不憫だ、と思った。

それと同時に、東京湾に対する不快感を感じた。この黒い海で取れた魚か……それを知ってしまうと食欲が湧かなくなる。これがあんまり良くない偏見ということは分かっているけど……なんか臭そう。東京湾で釣った魚はあんまり美味しそうじゃないな。釣り行くのは辞めとこう、と思ったことを覚えている。

 

そして海がそうなら陸もそうでないわけがないだろう。見た目的には分からないが、黒い海と同じように汚染された大地のように感じてしまって……手を出すことが出来ない。いや、全部がそうじゃないってことは分かってはいるんだけどね。理性と本能は別なのよ。犬の小便とかちゃんと洗って火を通せば問題ないと思っているけど、化学物質的な汚染はなんか違うのよ。

 

そんな理由でその辺に生えている野草に手を出すことが出来ない。一時期野草ばっか食べていたせいでその辺の雑草が「あれは食える、あれも食える」って感じで見えてるんだけど、手に取る気になれない。

この感覚は都会の悪い所かもしれない。何となく自然が汚染されているように感じてしまう。ちゃんと管理された野菜は大丈夫だと思うけど……その辺のはねぇ……って根拠の無い謎のラインを引いてしまっている。

それが良いのか悪いのか……少なくても自分の中では少し気持ち悪い感覚である。

 

Youtubeパートナーシッププログラム

僕はYoutubeにチャンネルを持っていて、一年以上前からモンハンのプレイ記録やBeatSaberのプレイ動画をあげている。最近上げた動画がYoutubeに気に入られたようで再生数が伸び、それに伴って登録者が増えた。ありがたいことである。

んで、チャンネルが伸びてくるとつい考えるのが「収益化」……それを目的としてやっていたわけではないけど、貰えるものは貰っておきたいのが人の性である。それがお金なら貰って損することはない。

 

ということで収益化できないかな~とちょっと期待していたここ数日。

 

収益化条件満たした?

――ついに条件を満たしたらしい。

登録者500人以上に過去1年間の総再生時間が3000時間。これでYoutubeの収益化のやつでありYoutubeパートナーシッププログラム略してYPPに申し込めるらしい。

なら申し込むしかないでしょ。僕は即決で申し込み、そしたらなんか「審査中」みたいなステータスになった。最大で1か月くらいは審査にかかるとのこと。

 

じゃあしばらく待ちかな?と思っていたのだけど思ったより審査が終わるのは早くて、3日くらいで結果が来た。

YPPの審査通って、一部収益化ができるようになったようだ。……そう、一部である。

僕は勘違いしていたのだが、動画収益が貰える条件は登録者1000人以上かつ総再生時間が4000時間以上。500人以上かつ3000時間で解放されるのはSuperChatのようなライブ中にお金貰えるやつとメンバーシップだけらしい。

 

あ……そうなんだ。それは残念。登録者は1000人超えてるし、再生時間も今のペースで増えていけば数日後には4000時間行きそうだから時間の問題だと思うけど、肩透かしを食らった気分で少し残念だ。よく見たらちゃんと書いてあったので、勘違いしてた僕が悪いんだけどさ……

 

残念だな~と思いつついつも通り配信をしていると、よく見に来てくださる視聴者さんがスパチャ的なものを投げてくれた。厳密にはSuperStickerだっけ?500円分いただいた。

これね、めちゃめちゃ嬉しいですよ!!!今までブログの広告収入とかをもらったことはあったんだけど、それとはまた違う。特定の誰かが明確に僕という個人に対してお金を提供しているのだ。それが視覚的にわかるようになっている。その方にとっては僕の活動は金銭を出す価値があるということなのだ。

これは承認欲求満たされるわ。それが目的なわけじゃないけど、嬉しくなるのは間違いない。最近配信者の気持ちがだんだんわかってきたね。っていうか配信に数人でもコメントを残してくれるようになっているので、既に弱小配信者くらい名乗ってもよさそう。

 

とりあえず一部収益化されて、自分の活動に価値があると言われたような感じがしてうれしかったという話です。また4000時間いって、動画自体の収益化ができるようになったらその時はまたブログで報告します。

 

月島でもんじゃ食べました

 

「東京の料理と言えば?」

と聞かれて僕がまず出すのはもんじゃ焼きである。正直別に好きなわけではないし、過去に食べた記憶もないので感慨もない料理なんだけど、東京と言えば……というイメージがある。

まぁ東京というより月島のイメージがそれなのかな。でも東京ってそれ以外特に料理なくね?郷土料理的なものも全然知らないんだけど……

 

そんなことは置いといて、その噂の月島のもんじゃ焼きを食べてきた。月島のもんじゃストリートなるところにある「おしお」というお店だ。お店に来るまでに街並みを見ながらだったんだけど、もんじゃ焼きのお店ばっかりだった。僕のこれまでのイメージはあながち間違っていなかった、ということだろう。

 

店内に貼られたポスターには「祝35周年!」と書かれていた。もしやもんじゃ焼きって歴史的にはそんなに長くないのだろうか?結構最近できた料理?二郎系位の歴史?

その日は朝雪が降っていたくらい寒い日だったんだけど、店内は暖かかった。いや、むしろ熱い。各テーブルの鉄板から発される熱で室温はかなり高くなっていたと思う。これ夏とか暑すぎてご飯どころじゃないんじゃない?

 

テーブルの真ん中にはクソデカ鉄板。座る前から熱を放っている。もう準備万端ということか。今回はコースで頼んでいるらしい。予約したの上司なのでよく分からない。

お通しに枝豆とサラダ。あと焼き物。この辺はシンプルに素材の味が楽しめるやつだ。おいしい。

 

そしてついに本命のもんじゃ。今回食べたのは牛すじカレー、海鮮スペシャル、明太もちチーズの3種だ。

 

f:id:Lothar:20240309190456j:image

 

こちらが牛すじカレー。く、黒い……ちなみにカレーの匂いもすごい。でもやっぱカレーは美味しいわ。おいしい。

「もんじゃって普通はこんな感じじゃないからね」と上司が言っていた。うん、確かに初めてのもんじゃには適してなさそう。美味しいんだけどね。

 

次は海鮮スペシャル。これ写真撮り忘れた。でもすごく美味しかった。上司も「これが定番のもんじゃ焼きかな」と太鼓判。個人的にタコの歯ごたえがいいアクセントになっていてよかった。

 

最後に明太もちチーズ。これ1番人気なんだって。

初めて僕が作成を担当。まずは具だけ入れて、ヘラ的なやつでぐしゃぐしゃに。そんで土手を作り、真ん中に汁を投入。

 

f:id:Lothar:20240309191122j:image

 

こんな感じになる。汁全部入れて、ある程度蒸発してきたらかき混ぜて食べる。

 

f:id:Lothar:20240309191422j:image

 

かき混ぜたんがこれ。……うん、何とは言わないけど……あれだよね。食欲をそそるいい香りがなかったら食べる気が起こらないね。

見た目はアレだが味はヨシ。おいしい。1番人気だけあるね。もちがいいアクセントになっている。

 

この後には〆の焼きそばとデザートのあんこ焼き。写真はない。

どっちも美味しかったんだけどねぇ……もうお腹いっぱいでねぇ。食べるのがちょっとキツかった。

 

ーーご馳走様でした。うん、見た目はアレだが美味しかった。お好み焼きと似たようなモンと思ってたけど全然違うね。面白い食べ物だなぁと思ったので、地元の友達とか来たら連れて行ってみることにする。

簡素化する別れ

 

今月で自分の会社の先輩が転職する。自分が配属された時からお世話になっている先輩で、個人的に尊敬している方。

 

転職するという話を初めて聞いたのは先月の中旬くらい。なんかこう、何となくソワソワしている雰囲気をチーム内で感じていて、「なんかあんのかな?」と思っていた時だった。

月に何度もない出社の時、帰りの電車内の雑談でサラッと告げられた。驚きは大きかったんだけど、最近のチームの雰囲気の答え合わせのようで意外感はなかった。

 

それから段々と引き継ぎが行われ、先輩の手から仕事が離れていった。最初に告げられた時はあんまり実感なかったんだけどその様を見ていると「居なくなっちゃうんだなぁ」と思わされた。寂しくなるのと同時に「この先輩居なくなって仕事大丈夫なのかな……」という一抹の不安もある。

 

そんな出来事もあったせいか、他の方々とも転職の話をするタイミングが増えた。

「1年目の君がいるところで言うことじゃないかもだけど〜……」みたいな前置きで話すこともしばしば。まぁ僕はまだ転職をミリも考えていないから、参考に話だけ聞いている。

 

までもこの業界、転職は別に珍しくない。チームでは転職で会社に入ってきた人の方が多いし、この1年で転職で入ってくる人は何人か居た。リーダー陣に話を聞くと転職3回、4回くらいの人は珍しくない。

チームから転職者が出るのが初めてというだけだ。

 

「この業界ではよくあることだし、出会いがあれば別れもある」

 

上司から言われた言葉である。この1年で出会いも別れも経験しているわけだから、これからの長い社会人生活で嫌というほど経験することになるのだろう。今別れに感じている寂寥も、次第に薄れて当たり前となっていくのだろうか……?そう考えると、今の感情は意外と貴重な物なのかもしれない。

 

これは先輩に対してではなく、送り出す側について感じたことなんだけど、上司の言葉からも感じたことなんだけど、学生の頃より別れに対してシビアというか……なんか素っ気なさがある気がする。

送別会もしたし、次の会社でも頑張って!って感じはあるんだけど、学生の時ほど集団としての感情が強くないというか……うーむ、なんと言ったらいいのだろうか。ただ、なんか違うんだよね。感情を節約してる感じ?仕事という仕切りを間に挟んでるような……

 

これからも沢山別れを経験するんだろうけれど、その一つ一つに対する感じ方はこれから変わっていくのだろうか、なんて思った。

 

春眠暁を覚えず

3月、暦では春である。春の陽気、澄み渡る空、日向ぼっこする猫、出会いと別れの象徴である桜。様々なエモーショナルに満ち溢れる目覚めの季節だ。

そんな季節の心地良さは千年前から同様のようで、唐の詩人・孟浩然が日本の国語の教科書に残るくらいのクソ強五言絶句「春眠不覚暁」として書き残している。

これは「春眠、暁を覚えず」と訳され、「春って心地よくてクソ寝るから、夜明けとか知らんのよな」って感じの意味。この数世紀後に「春はあけぼの」と言い出す平安女子がいるのだけど、この2人で感性のスタンスが多分正反対なんやろな。

 

……いや、これはどちらも両立するか。普段寝過ごしてるけどたまにオールした後に見る朝焼けとか綺麗やもんな。そういうことか。

 

さて、僕は「春眠、暁を覚えず」には大いに賛成派の人間である。春といえど朝はまだ肌寒い。たとえ1度目が覚めたとしても布団の心地良さ、外壁隔てて僅かに感じる春の日差し。そこに気だるい眠気が合わさると二度寝不可避。夜明けとか知ったこっちゃねぇ。夏はつい暑くて夜明けに起きて活動することあるけど、春にはそんな事しないしな。

 

まぁ布団から出れなさ度で言えば冬の方がすごいんだけど、それにしても春ってのは意識がはっきりせずよく寝過ごす気分である。唐の詩人はこれを「春の陽気のせい」と言っており、僕も昔は同様に考えていた。それって理由としてはノンビリしててなんかエモいし。

 

しかし、最近になっておもったのだ。

--これ花粉のせいでは?

僕が春に暁を覚えないのは、陽気のせいではなくスギ花粉で普通に体調ちょっと崩してるせいで睡眠時間伸びているだけなのでは?

そう思ったのである。気持ちいいものではなく、シンプルちょっとした体調不良じゃないか。そう疑っているのである。

 

ちなみに孟浩然さんは100パー陽気のせいだと思う。中国って花粉はないらしいし。これはあくまで僕にとっての原因が違うのではないか?という話である。

体調悪くなると睡眠時間増えるのはあるある。二日酔いすると寝たくなるでしょ。あれと同じ原理。僕は二日酔いしないから今憶測で言ってるけど。

 

1000年前から続くエモーショナルなるに浸ってると思ったら、ただの体調不良だったとなるとなんか悲しくなる。自分の体質からそれを疑わなくてはならなくなるのがなんかヤダ。っていうか、こうやってエモの空間にリアリティ持ってくるのが良くないんだろうな、花粉とか考えなければなんかエモいじゃん、春の二度寝

 

そんな現実ばかり考えるつまらない大人にはなりたくないな……やっぱ春の二度寝は陽気のせいにしておこうかな……そっちの方がなんかいいもんな。うん、やっぱ今の話ナシで。

 

陰毛と異文化

 

排水溝の掃除をしていた。洗剤をかけてシャワーで流し、奥の方に溜まった髪の毛を取って捨てる。今の時期は毛の生え変わりが早いなぁとか、だいぶ髪伸びてきたな〜とか思ってた。

 

そんでふと、この間行った風俗で相手をしてくれた女性がパイパンだったことを思い出した。ちなみに今僕もパイパンである。でも温泉とか行くとパイパンの男性ってまず居ないよね。女性だとどうなのかは全然知らないが、男性は剃ってる人はほとんどいなかったと思う。

 

と、この流れで帰国子女の友人のことを思い出した。今は福岡で音楽活動をしている尊敬すべき友人だ。彼は高校までアメリカですごし、大学から日本に来た。しかしまぁ日本語ペラペラで、すごいイケメン。非の打ち所がない良い奴だった。

そんな彼と銭湯に行ったことがある。その時に彼と陰毛の話をした。

 

彼いわく「アメリカいた時は剃ってたけど、こっち来てからは生やすようになったかな」とのこと。

理由を聞いたら、「周りがそうだから」

つまりアメリカでは剃っているのがスタンダードということだろう。しかし日本では違う。女は知らないが男は生やしているのがスタンダードである。こんなところに文化の違いがあるのか、と面白がって聞いていた。

陰毛ひとつとっても異文化を感じられる。それが可笑しくも重要なことに思えて何となく覚えていた。

 

アメリカではパイパンだった彼は日本では生やすようになった。それはその行為に特別こだわりが無く、ただ周りに合わせてやっていたからだと思う。それは何ら悪いことじゃないし、郷に入っては郷に従え、というように異文化に混じる意味では正解な行動だろう。

センシティブな話だからあんま語られないけど、こういうところに文化交流ってあんのかな……とぼんやりと思う。

 

まぁ日本でパイパンだと浮くしね。大学時代、友人と温泉旅行行ったことがあるんだけど、そん時僕パイパンだったのめっちゃ面白がられた記憶ある。帰りの車内で「でもお前パイパンやもんなぁ笑笑」ってなってた記憶ある。それが面白いくらいには普通では無いのだ。それなら生やした方が楽というものだろう。

 

そんな文化の差について、陰毛一つでぼんやり考えた。いや、そもそも排水溝の掃除してたんだった。まぁひと段落着いたしシャワー浴びますか、とそのまま服を脱いでシャワーを浴びる。

自分の股間に目を向けてみる。つんつるてん、である。僕のこれはアメリカの文化によるものでは無い。強いて何かと言われると、多様性とかそんなもんだと思う。

陰毛一つで異文化とか多様性とか大層なもんだ。そういうのってこんな日常に根ざしてんだな……なんて。