3月、暦では春である。春の陽気、澄み渡る空、日向ぼっこする猫、出会いと別れの象徴である桜。様々なエモーショナルに満ち溢れる目覚めの季節だ。
そんな季節の心地良さは千年前から同様のようで、唐の詩人・孟浩然が日本の国語の教科書に残るくらいのクソ強五言絶句「春眠不覚暁」として書き残している。
これは「春眠、暁を覚えず」と訳され、「春って心地よくてクソ寝るから、夜明けとか知らんのよな」って感じの意味。この数世紀後に「春はあけぼの」と言い出す平安女子がいるのだけど、この2人で感性のスタンスが多分正反対なんやろな。
……いや、これはどちらも両立するか。普段寝過ごしてるけどたまにオールした後に見る朝焼けとか綺麗やもんな。そういうことか。
さて、僕は「春眠、暁を覚えず」には大いに賛成派の人間である。春といえど朝はまだ肌寒い。たとえ1度目が覚めたとしても布団の心地良さ、外壁隔てて僅かに感じる春の日差し。そこに気だるい眠気が合わさると二度寝不可避。夜明けとか知ったこっちゃねぇ。夏はつい暑くて夜明けに起きて活動することあるけど、春にはそんな事しないしな。
まぁ布団から出れなさ度で言えば冬の方がすごいんだけど、それにしても春ってのは意識がはっきりせずよく寝過ごす気分である。唐の詩人はこれを「春の陽気のせい」と言っており、僕も昔は同様に考えていた。それって理由としてはノンビリしててなんかエモいし。
しかし、最近になっておもったのだ。
--これ花粉のせいでは?
僕が春に暁を覚えないのは、陽気のせいではなくスギ花粉で普通に体調ちょっと崩してるせいで睡眠時間伸びているだけなのでは?
そう思ったのである。気持ちいいものではなく、シンプルちょっとした体調不良じゃないか。そう疑っているのである。
ちなみに孟浩然さんは100パー陽気のせいだと思う。中国って花粉はないらしいし。これはあくまで僕にとっての原因が違うのではないか?という話である。
体調悪くなると睡眠時間増えるのはあるある。二日酔いすると寝たくなるでしょ。あれと同じ原理。僕は二日酔いしないから今憶測で言ってるけど。
1000年前から続くエモーショナルなるに浸ってると思ったら、ただの体調不良だったとなるとなんか悲しくなる。自分の体質からそれを疑わなくてはならなくなるのがなんかヤダ。っていうか、こうやってエモの空間にリアリティ持ってくるのが良くないんだろうな、花粉とか考えなければなんかエモいじゃん、春の二度寝。
そんな現実ばかり考えるつまらない大人にはなりたくないな……やっぱ春の二度寝は陽気のせいにしておこうかな……そっちの方がなんかいいもんな。うん、やっぱ今の話ナシで。