lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

国語力と倫理の境界はどこ?

Twitterで流れてきてこんな記事を読んだ。

 

「ごんぎつね」が読めない?学校で起こっている国語力崩壊の惨状 - ライブドアニュース

 

最近の子供の国語力がなくなってきてて問題だろって話。自分の内面や他者の心境を説明する言葉を持たないって意味で国語力がないって言われてるんだと思う。

状況説明も自己理解も言語を上手く扱えないと上手くいかない。だから今の子供が大きくなった時大変そうだよねってことだと思う。

(全然的外れだったら僕にも国語力がないってことやね)

 

確かにねーって思いながら読んでたけど、この部分で僕は違和感を覚えた。

 

交際相手の行為を“恐喝”と思わない女子高生
――従来から言われている「読解力低下」問題とは違う次元の深刻さを感じますね。

石井 象徴的なのは、ある女子高生に起きた恐喝事件です。その子は、わりと無気力なタイプで、学校も来たり来なかったりデートの途中で黙って帰ってしまうようなルーズな面がありました。こうした態度に怒った交際相手の男子生徒が、非常識なことをしたら「罰金1万円」というルールを決めます。それでも女子生徒は反省せずルールを破り、毎月のバイト代のほとんどを彼氏に払い、しまいには親の財布から金を盗んで支払いにあて続け、発覚したときは100万円以上も払ったあとでした。

 ところがとうの本人は、自分の被害を全く認識できず、「言われたから」「ルールで決めたから」と相手の行為を“恐喝”とすら思っていないんです。男子生徒のほうも「同意あったし。金は二人で遊びに使ったし」と平然としている。

 当人のなかでは「ルールを決めた→同意した→実行した、何が間違っているの?」というプログラミング的な理屈で完結しているのですが、社会の一般常識や人間関係を考えたら明らかにおかしいわけです。搾取されているゆがんだ関係や親の金を盗んで渡していることに疑問すら持たない。

 

 

国語力のない例としてあげられていた話だけど、僕個人としてはここだけなら国語力というより倫理観の問題なんじゃないかと思う。

確かにこの状況を女子高生が客観的に説明できないって話は国語力に起因するけど、なんでこれがダメなのか分からないのは倫理観の欠如じゃないかなぁと思う。

 

とゆーのも、正直僕も「両者が同意してるならいいでしょ。親の金盗るのはアウトだけど」って感じだったから。罰金を課すことを両者が同意してるなら問題ないって思ってしまう。ただ、僕が同じ立場なら社会的にこれはグレーゾーンだろって思うからやらない。

 

でも、じゃあ社会的にダメってどういうこと?って聞かれたらそれを論理的に説明できる人の方が少ないと思う。僕もそんなのできる自信ないし。ただダメだよねーってのは分かってる。

 

このダメだよねーって感覚が倫理観だと僕は思ってるので、この女子高生にほんとにないのは倫理観なんじゃないかなーって思う。

だって親の金盗んでまで罰金払ってて、それがダメって思わないのは、言葉で説明できる力とか関係なくない?ダメって語彙すらないの?この女子高生は?そんなわけないよね。

なら問題は「それがダメなこと」と分かってなかったことじゃないんかな。それは国語力とはまた違うと思うなー、と僕はこの例を読んだ時に思った。