「もうだめだ、死のう」とか「誰か助けて」とか……
仲のいい友達がそんなことを言ってると、何とかしてやれんかな?ってつい思う。まぁ思うだけでほとんどの場合何もしないんやけどね。でも心配やなーって思って、ふとした時に気になってSNSを見たりする。
たまに、この人のことは僕が助けることが出来そうだなって思うこともある。この人の漠然と抱えている不安感を少しでも和らげることができるだろなって。大抵そう思った時の方法はシンプルで、僕に依存させること。僕が甘やかして僕に依存させてしまえばその人の人生に対してのマイナス感情を抑えることが出来るんじゃないかな。そしたらこの人はもう苦しまないんじゃないかな。そう思いつく。
でも、僕がその選択を取ることは、ほぼないんじゃないかな。その理由はとてもシンプルで、僕の人生をその人に捧げるほどの覚悟がない。
僕に依存させるってことは、僕がいないとその人がダメになるってこと。つまりその人とかなり長い間時間を共有することを覚悟しなくちゃいけない。しかも、僕は承認欲求が満たされるというメリットに対して、拘束時間が長く、相手のマイナスな精神状態に引きずられ、なにも考えずに愚痴る相手に対して気持ち良い対応を見極めなくちゃいけないという大量のデメリットがある。こんなのよほど覚悟がないとできない。
友達が苦しんでるのは見てて辛いけど、そこに深くかかわると僕に対してデメリットが大きすぎる。そうやって損得勘定で友達に対しての関わり方を変えている自分に薄々感じる嫌悪は無視して生きている。
だって仕方ないやん。自分が一番大事なんやし。なにがあろうと人のことなんて二の次やし。
そんなのだから僕は他人の人生に干渉できない。だから結婚とかできんのやないのかな。人の人生に干渉して、僕がいないといけない状態にするのは正直怖い行為である。
だけど、誰からもどうでもいいと思われるのもキッツいよね。誰かの人生にとってのメインキャラクターでいたいと思う自分もいる。
そんな他人と自分の人生が乗っかった天秤をいい感じにバランスとって生きてくしかないわけさ。どっちかに極振りする人生はリスクが高くてできないわ、僕。
他人の人生に必要じゃないけれど、メインキャラクターにはなるくらいの塩梅で生きていきたいと思うんよ。いつか、僕の人生をささげてもいい人がいるといいなぁと思う。リスク度外視で。