中学一年生の頃、女子バスケ部の友人は先輩に雑用のようにこき使われることに不満を垂れていた。それでもめげなかったのは彼女たちのすごいところで、彼女たちは部活をやめることなく引退まで頑張り続けた。
「自分たちの代になったら、後輩たちにはこんな思いしなくていいようにするんだ」
友人がそのようなことを言っていたのを覚えている。そう言いたくなるくらいつらい部活だったのだろう。
そして、中学三年生のころ。友人は最後の部活に精を出していた。
帰宅部の僕は話を聞くだけなので頑張ってんなーとしか思ってなかったわけだけど、2個下の妹と雑談してた時にこんな話を聞いた。
「女バスめっちゃハードらしいよ。女バスの友達がめっちゃ愚痴ってた」
――あら?そうなのか。
僕の友人は昔、そうならないようにすると言っていたのに下級生をこき使っているのか。これは中学生の僕にとってはかなり衝撃的な出来事であり、その友人とはだんだんと距離をとるようになった。
女バスのこの出来事は、なにも女バスでしか起こらないわけじゃないだろう。
自分たちが昔つらい思いをしたのだから後輩たちも辛い思いをしろ。
そういう思いを抱くのは、社会の様々な場所で起こりうることだろう。ただ、女バスの場合はそれを変えたいと言っていたのにやってしまったことがセンセーショナルだったのと、僕がそういう出来事に触れるのが初めてだっただけだ。
自分のしてきた無駄な苦労を下の者に強いる思考を僕は「女バス理論」と呼んでいる。いや、心理学でたぶん明確な名前があるんだろうけど、僕の中であの出来事が衝撃的過ぎてその名前がしっくりきすぎてしまう。
僕は「最近の若いもんは!!」って言うセリフもこの理論に基づいていると思っているし、職人は見て学べとかも同様だと思う。
それが一様に悪いことと断言することはできないけど、たいていの場合なくても困らない因習だろう。「同じ苦労を強いたい」という上の者の感情を満たすためだけの行為だし。
この理論をもとに社会を見てみると、たいていの場合若いもんに優しくないなぁと思うわけである。少なくとも僕がおっさんになったら、若いもんに優しくありたいな、と思う。