lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

留年できる金持ちたち

僕の家は、いわゆる中流階級というやつだと思う。生活保護受けるほどギリギリの生活してないけど、裕福な暮らしができるわけではないくらいの。

 

だから大学まで進学することができたし、奨学金も月3万円で済んでいる。

僕はこれでも恵まれてる方だと自負しているけれど、やっぱ上には上がいる。

 

この間、夏休みというのに授業があって学友たちと久しぶりに話をした。そこでとても驚いたのが、僕の仲のいいやつの半数近くが留年確定なことだった。

もう1年遊べるドン!を平然とやるつもりだった。ある人は単純に単位が足りないから。またある人は就職浪人で新卒カードを失いたくなかったから。

うちは国公立ではあるけれど年間で50万円近く学費がかかる。とても安い金額ではない。

それを無いものとでも考えているかのように、彼らは当たり前に留年することを話していた。

「お金どうするの?」と聞いたら、「まぁ親が認めてくれたし」と。

なるほど、親が払ってくれる前提なのね。

 

うちでは留年するなら辞めるか、学費を自分で払うかの2択と事前に宣告されていた。まぁ無いものを出すことは出来ないから仕方ない。僕もそれは受け入れている。

大学行けるだけ僕は恵まれてると思っている。けれども、プラスアルファを当たり前のように享受している人間を見ていると、恵まれてるやつはどこまでも恵まれてるなぁと思う。

 

別にそれで親や社会を恨んだりすることはないけど、それは純然たる事実だ。それ自体はきちんと受け入れないといけない。

 

こんな感覚を味わった経験が、つい最近もうひとつあった。

僕は通学のために一人暮らしで、仕送り&奨学金を受け取っている。それだけだと生活できないからバイトもしている。

同じように一人暮らしをして、仕送りだけで生活している友人がいる。彼は奨学金もとっておらず、バイトもしていない。それでも節約すれば貯金できるという。

もうひとつ愕然とする事実を告げるなら、うちの家賃は月2.5万円であり、友人の家賃は少なくともその倍はある。

 

それでコレである。ちょっとアホらしくなる。自分は恵まれてる方だと思っていても、僕がしている苦労を平然と無いものとして生活できる人達がいる。

当たり前のように身近に上位互換がいるのは、平等という言葉がいかに実現不可能であるかを体現してる。

マジでやる気削がれるけど、分相応に頑張るしかないだろ。僕のレベルの当たり前を享受するために。