lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

本当に自分の人生楽しめてる?

僕の人生は「楽しむため」にある。これは僕が勝手に決めた生きる理由で、楽しくなくなったら死んじゃお~なんて気軽に思っている。軽率に見えるかもしれないけど、これは僕の人生の指針だ。

しかし、これは何も「楽しいことしかしない」というわけではない。そりゃ人生生きていれば楽しくないことも沢山ある。でもそれもある程度は楽しもうと思えばなんか楽しくなってくるものだ。そうやってくそ平凡な人生でも楽しもう!と、僕はそう思って生きている。

 

すなわち、僕の人生の指針を達成するには、能動的に楽しもうとすることが必要なのだ。これがいうほど簡単ではないのだけど、なんだかんだ出来てると僕は思っていた。

 

ある日、半年ぶりに友人に会った。久しぶりの邂逅に話も盛り上がり、自分たちのこれからの進退についても色々話してわいわいがやがや。その友人はアーティストになることを目標としていて、日々そのための努力を欠かしていない、僕の尊敬する友人の一人だ。

彼は僕に「これからの人生設計」を聞いてきた。春から上京してSEとして働くことが決まっていた僕はそのことを話した。それまで大学でその勉強をしてきたわけではなく、ほとんど未経験で入社することも伝えた。

 

「なにそれ!めっちゃ楽しそうじゃん!新しい土地で新しいことするんでしょ!ワクワクするねぇ」

 

彼は笑顔でそういって、自分の音楽の話をし始めた。僕はこの言葉を聞いた瞬間に、「あーやっぱこいつには敵わないなぁ」と思った。なにしろ僕は別に新しい仕事を始めることを「楽しいこと」と認識していなかった。それに対して彼はそれを「楽しそう」と言ったのだ。楽しむことを人生の指針にしている僕からすれば、それは「お前まだ人生楽しみ切れてないよ」という指摘そのものである。

これは僕からしたら緊急事態だ。僕の思考回路は「楽しくない=死」である。つまり他人が「楽しそう」と評したものに、始まってもないのに「楽しそう」とすら思わないのは、自身が気が付かないうちに「死」に近づいていたということに他ならない。

 

僕は自分の人生を楽しみ切れていると思っていただけに、彼のこの一言が僕に与えるダメージは大きかった。後日自然と一人で泣いちゃうくらいのクソデカダメージだ。

でもまぁ、そうやって気付かせてくれる人がいるだけマシだと、そう言い聞かせて楽しんでくしかない。だって何にも楽しくなくなったら、それはもう僕にとっては「」そのものだから