まずはこの動画をどうぞ
この動画ではヨルシカの新曲である「ブレーメン」のPVとかから込められた意味やストーリーを考察している。
僕もヨルシカが好きで、たぶん全曲聞いているし、ある程度古参ではあるんだけど、音が気持ちいい、歌詞が詩的で気持ちいいってのが理由で聞いていたわけで……曲やアルバムごとにストーリーがあるのはなんとなくわかるけど、そこはあんまり考えないで聞いていた。
んで、そんな僕にYoutubeはこの動画をおススメしてきたのだ。なんとなく見ると、過去の楽曲とのつながりやストーリーとして説明しているものが、「なるほどね!!」とすごい納得させられるものだった。
特に、春泥棒のカップルの話とかね。過去曲のつながりに気を付けて見ると、あからさまで、言われなくても分かってしまう。
こういう世界観ってヨルシカの魅力の一つだし、素晴らしいとこでもあると思う。というか、楽曲やアーティストの世界観ってどのアーティストにも多少なりともあるものだよね、と再認識した。
その中でも特にヨルシカはエモーショナルで詩的な世界観をしているし、それをめちゃくちゃ露骨に出してるわけでもなく、「意識してみればわかる」くらいに出している。
だから僕みたいな、ストーリーとかどうでもいいと思いながら聞いている人には、その部分は「なんかいい雰囲気」として伝わるわけだ。
別に言語化できないし、するつもりもない、下手すりゃ言語化できないヨルシカ独特の雰囲気の源泉はそこにあるのかもしれない。
――ここまで思い至って、僕はある楽曲群を思い出した。
「カゲロウプロジェクト」である。
あれも、楽曲群でストーリーを構成しているタイプだった。しかもそれがヨルシカに比べて数段露骨。当時中学生だった僕はその雰囲気に引き込まれたわけだが、この熱は今やきっぱり冷めている。
それは時間がたったからではなく、明確な冷めたタイミングがあった。
それは――カゲロウデイズの小説を読んだ時だ。
カゲロウプロジェクトはボーカロイド楽曲群が始まりではあるのだが、小説化、アニメ化など積極的なメディアミックスをやっていた。
もちろんカゲプロ大好き少年だった僕は小説を買って読んだのだが……読んでしまったのは失敗だったかもしれない。
小説には、それまで楽曲群でなんとなく形作られていたストーリーが明確に細部まで表現する物語となって描かれている。
僕にはそれがとてもチープな、ありきたりな物語に感じてしまった。楽曲になんとなく表出していたストーリーが形を得て物語になることで、それ以上のものにならなくなってしまった。
世界観という膨大な幅を持っていたはずの楽曲群がつまんない物語のキャラソンみたいな形になってしまった。
そこで、僕はカゲプロに冷めてしまった。詳細に描写することが必ずしもいいとは限らないし、カゲプロの場合はそうやって描写してしまったことが楽曲の味を失わせたとも感じてしまう。
だからこそ、多くを語らず楽曲だけで世界観を作り続けるヨルシカを僕は好きなんだな、とそう再び思った。
是非是非「ブレーメン」も収録されるであろう新しいアルバム、楽しみにしてます。