lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

車いすの女性

僕は現在大学4年生、一人暮らしの生活費が足りないからバイトをしている。

そのバイトは「スーパーのレジ打ち」忙しいときも暇なときもずっとレジに常駐するお仕事。閉店前一時間くらいは暇だし、時給もあれだけ簡単で1000円を超えるから悪くないと思う。(福岡県の最低賃金は時給870円)

 

ただ、このバイトをしていてたまに考えさせられることがあるときもある。クレーマーとかは今は横に置いておいて、僕が最近思い悩むのは車いすの女性客のことだ。

 

妊婦さんだったり、障害を持つ方に対しては、商品の袋詰めのお手伝いを申し出るように指導されている。僕も基本的にこれに従うのだが、この女性に対しては僕は何も申し出ず、普通のお客さんと同じように接する。

というのも、彼女何回も来客しているので、彼女がお手伝いの申し出を毎回断っていることを僕は知っている。だから、話しかけないのだけど、店側的には「断られても毎回言うべき」って方針だと思う。

 

なので、これは個人的な感情に基づいた職務怠慢と言えるかもしれない。

僕が彼女にお手伝いを申し出ない理由は主に3つ

  1. 彼女が申し出を毎回断っている
  2. 彼女を手伝う必要がないことを知っている
  3. 障害者だからとあんまり特別視したくない個人的感情

 

1に関しては前述の通りである。

2に関しても常連さんだから知っていることではあるが、彼女は基本一人で買い物に来るのだけど、買うものが多いときは家族と来る。

なので、一人で来るときは一人でも問題ない量の買い物をするときだけであり、実際に一人の時は大量に買い物することはない。一人で出来るのを知っているからわざわざ声をかけなくてもいいという思考だ。

 

問題になるのは3つ目の理由だろう。僕のスタンスとして、「助ける必要がないなら助けない」というのがある。今の話に当てはめるならば、一人で出来るなら他のお客さんと同じように扱いたい、という信条だ。

我ながら非常に優しくない信条だなと思う。でも、障害を理由にして助けの手を求められてもいないので差し伸べようとすることは、悪く言えばその人を差別しているように感じてしまうのだ。

 

もちろん優しさから出る行動のはずだけど、「それを言う時点で自分とは違う相手だと差別しているのでは?」と悪く考えてしまう。それは区別だ!!って反論が来るだろうけど、差別と区別の差なんて「その分類と良いと捉えるか悪いと捉えるかというだけ」だと思うのだ。だから、他人が区別と思ってもそれを決定づける証拠は何もないのだ。

 

僕は必要もないのに、助けようとする行為は差別に思えてしまう。だから、個人的に「お手伝いしましょうか?」と申し出ることが嫌なのだ。

もちろん、助けを乞われても助けないというわけじゃない。ある行動にあからさまに苦労していて、明確に助けが必要なら助けるだろう。でも、「それって一人で出来るよね」ってことまで助けたくない。それだけ。

 

でも、他人から見ればそれは「良い人」じゃないと思うわけで。どうしたもんかねと個人の信条と他人から見える良い人の境界で悩んでいるのである。