lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

自分の子供すらわからないおばあちゃん

毎年定番だけど、お盆には父方の実家に帰省している。

今一人暮らしのわけだから、帰省したうえに帰省するという二重帰省をやっている。

お盆とお正月はおばあちゃんちに帰るわけだけど、僕にとってその行事は憂鬱だ。

 

理由はシンプルで、おばあちゃんの認知症が酷いから。

おばあちゃんに会ったら僕はいちお孫のはずなんだけど、「あんた誰だっけねぇ?」と言われる。孫だよ!といっても「こんな子おったかねぇ」と言われる。

これだけならまだしも(?)、おばあちゃんは自分の息子(僕の父親)すら覚えていない。「こんなでかいのが私の子ぉぉ??」って感じで疑いの目を向けてくる。

 

これをやられる側は結構きつい。昔から少なくとも年2回は会ってきた相手、しかも親族に「お前誰?」と言われるのは悪気がないとわかっていても辛いものがある。

しかも、これが一回ではない。一度行くとまぁ10回くらいは言われる。ことあるごとに「お前は誰だ?お前みたいなやつ知らん」と言われる。

これが非常に居心地が悪い。だからと言って別室にこもるのも変だからできないし、しまいには両親だけ買い物に出かけたりする。いやまぁ、飯とか買ってこなきゃだから仕方ないんだけど、それでもおばあちゃんと妹との3人の空間はちょっとキツイ。

 

しかも会話の内容も堂々巡り。「じいちゃんたちどこ行った?」と「お腹すいたろ?」が永遠に繰り返される。他の話題をこちらから振ってみても「ふーん」と興味なさげな反応しかしない。

おばあちゃんの問いかけに反応しないのもあれなので答えるけど、同じ下りを何度も繰り返すのは一種の拷問と言えるかもしれない。

 

介護ってシンプルにつらいだけでなく、こういったコミュニケーションを介護相手とすることを強制されるのも辛い要因の一つだと思った。1日2日だからいいけど、これをずっとやるとなると精神的に病んでもおかしくないと思う。介護疲れが原因で自殺って話を聞いたことがあるけど、こんなのなら納得である。介護職の他人として関りならまだしも、家族が介護をするときにはコミュニケーションはかなりきついはず。

 

認知症ってやばいな、と改めて思った。