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ある日、ツイッターである男性の話が流れてきた。
日本一周を終えて自殺をしたADHDの男性の話。
リプ欄や引リツで色んなことを言っている人がいて、いろいろ思っていたわけだけど、その中のいくつかに僕の抱いた感想と同じようなものもあった。
僕の感想を一言で言うなら、
美しい死
である。
ADHDを診断されたのちに日本一周して色んな美しいものをみて、人とも触れ合って、その末に死。そこまでに至る経緯含め、綺麗だと思う。
もちろん他人ごとだからこそこんなことが言えるのであって、これが友達とかだったらこんなことは言えない。どうして……とか言ってるに違いない。
ただ、これが例えばフィクションの話で、物語のエンドであるとすれば、それはまぁ色んな感傷入り混じったいい終わりって思うんじゃないかな。
今の時代、ただただつらい思いして生きるくらいなら美しい終わりを望む。という選択肢があってもいいと思うし、僕はどちらかというとそれに賛成寄りだし。
僕の感想はこれだけだけど、ここから先はリプ欄の人間への愚痴。FF外の癖に死ぬなとか、共感とかはまぁ考えるほどの価値もないからパス。
僕が引っかかったのは「きれいな景色を見たのに自死を選ぶなんて」というリプ。
こんなこと言う人には一生分からないかもしれないけど、綺麗な景色には基本的に死を止めさせる効能はない、と思う。
希死念慮のある人間からしたら、「ここから逝けばきれいに終われるかな」とか「こんなきれいな景色を見れたんだからもう死んでいいや」と考えるわけだ。ちなみに僕は死にたいとまでは思わないけど自傷したくなるタイプ。
だから、そんな人には自死する人間のことなんて一生分からんだろうな、と思う。
また、これは僕の勝手な推測だけど、彼は旅を終えたら最初から死ぬつもりだったのだと思う。「日本一周できる気力があるのに死ぬなんて」みたいなこと言ってた人もいたけど、死ぬことを決めてたからこそできたことだろう。
僕はそう思ってるから「日本一周を終えた後に死ぬことを決めたと思っている」かのように見えるリプに違和感を感じた。自死するほどの人間の心には、いつでも「死の選択肢」があると思う。それが澱のように溜まっていき、そっちのためらう要素を死の魅力が超えたときに、命が終わる。だからこそ、そんな風に書いた人間は、自死する人間のことは一生分からない。
まぁもちろん僕も自死してないので、彼の心境は分からない。でも彼の行動は明確な終活であり、それを僕が美しい死であると感じたことは間違いない。