僕は小学一年生から格闘技を続けている。23になる今年までその先生との関係や、門下生との関係は続いている。
10年以上同じジムに居続けると、もちろんやめた人間も多く見る。また格闘技をやめた人間であっても定期的な交流が続いている相手もいる。
そんなやめた人間の1人と先日飲みに行ってきた。先生と、僕と同期と10年振りに会う友人。4人。
どーやら先生がたまたま昔やめたそいつと連絡取れたらしく、このような飲みの場が開かれた。ちなみにそいつと大学が一緒だったのでセッティングは僕がやった。
久しぶりに会ったけど、昔の面影がきちんとあって見た瞬間に誰かわかった。最初に会った時に去来したのは懐かしさではなく新鮮さだった。なんかもうさすがに10年振りにもなると、同じバックボーンを持つ新たな友人、みたいな感じがして。たしかにそこに昔なじみの面影はあるんだけど……なんか別人な気もして……
そこから身の上話や、今後の話、昔話なんかに花が咲いた。先生が怖かったよなー!やら、アイツは今何してんだろうな?とか、正直お前と練習したくなかったもんなー!痛かったし!って、懐かしさが溢れる。
正直な話。まさかほとんど連絡をとっていない相手とこうして話をすることが予想外だった。嬉しいし懐かしいんだけど、どこかふわふわしていて希薄な関係のそんな集まり。バックボーンは一緒でも、今やお互いが別々の道を行こうとしている。終わっていたはずなのに、緩く続いている縁。僕はそれがとても心地よかった。
「また飲み行こうぜ」って言って、それがいつになるか分からない。でも、そのいつかは起こそうと思えば何時でも起こせるような、そんな繋がり。緩いからこそ、めちゃくちゃ意識する必要も無いけど確かに存在する。僕の過去が作り上げてきた、いつでも簡単にちぎることの出来るし、また繋げることも出来るかもしれない物。そんな人間が今目の前にいる。奇妙な幸福。
別れる時も「またね」と緩く次を匂わせる。僕は大学を卒業して地元を離れるし、「またね」で示された次がいつになるか分からないけど、それはきちんと存在している。
そんな不思議に感覚だった。別れて1人になって、「そのうちまた連絡取るか」と思うわけである。