ある日飲食店で飯を食ってる時、店内BGMでadoの曲が流れていた。友人と一緒に食べていたわけだけど、その友人がこう言った
「この曲めっちゃミセスだよな」
ミセスはMrs. GREEN APPLEの略。ここで流れていた曲は「私は最強」この曲はミセスが楽曲提供をした曲である。確かに改めて聞いてみれば、それっぽい。
それで思い出したのだが、Adoの曲はほとんど楽曲提供で構成されている。Adoが作曲するわけでもないし、誰か専属で作曲家がいるわけでもない。つまりAdoは歌うことしかしてないのだ。言ってしまえばやってることは「歌い手」と何ら変わらない。しかし、アーティストとして成立している。
もちろんこれはAdoの圧倒的な歌唱力あってのことだし、これまでに前例の全くないことではあると思うけど、とても夢のある話だと思う。
これまでアーティストと言われると、歌うことはもちろん、作詞・作曲も出来なきゃいけなかった。つまりボーカルが自身で作詞・作曲するか、できる人間と組む必要があった。
しかし、Adoの場合はそれがない。身一つのはずなのに、彼女がしているのは「歌うこと」だ。それはこれまでにあまりなかった形のアーティストなんじゃないかと思う。
つまり、作曲が出来なくてもここまでのアーティストとして大成する可能性のある時代になったことをAdoは示してくれているわけだ。
ちなみに、作詞・作曲に関してはもう数年前から「ボカロP」という形で、自身が歌う必要がない状態が確立している。
それまで大成するのに必要だったスキルが、より少なくなってきている。これは、夢のある人間たちにとっては素晴らしい環境だろう。
より少ない才能で大成する可能性のある夢のある時代をAdoは象徴していると感じた。