さて、この間の記事で「僕の幸せは10万円です」と言っておいてなんだけど、やっぱり幸せを金額で表すのは気に食わない人も多いと思う。まぁ、僕が上記のように思った経緯は前回の記事をば。
前回は僕の主観的話だったけど、今回は若干客観的な話。
10万の幸せと100万の幸せなら、100万の方がそりゃ幸せだよね。
と前言ったんだけど、これが例えば、月100万の独り身男性と、月10万の彼女持ち男性だと、見方が変わってくるかもしれない。将来の配偶者がいた方が幸せを感じられるだろと、10万の方を選ぶ人も出てくるかもしれない。
でもこれも悩みどころで「配偶者がいることが本当に幸せなのか?」という疑問が残る。たとえ配偶者がいたとしても、月10万。生活が厳しいのは間違いないだろう。共働きであったとしても余裕があるとは思えない。ってか同棲していると想定するなら月10万じゃ生活できない。共働きは必須条件だ。彼女がいる分の金銭的負担が発生することは火を見るより明らかだろう。ちなみに彼女が大金持ちというパターンは例外である。ってかその場合はもう月10万じゃないし。
うん。一人10万で、共働きすれば二人で20万。それくらいなら何とか生活はできるだろう。でもまぁ、おかねあったほうが幸せだよね。とこの二人に問いかけたら「それはそう……」と答えるのではないだろうか。
「生活大変でしょ?」とか、「彼女さんの分も働いて大変じゃないの?」って質問じゃない。シンプルにお金がもっとあった方がいいかどうか。お金を得るために仕事を増やすとかもない。増えるのがいいのか、悪いのかというシンプルな質問。
これにNoと答えるのは極端な共産主義者や嫌儲主義者くらいだろう。
――つまりこの例から言えることは、「他の条件を合わせてしまえばお金は幸せの尺度になる」ということだ。月100万の独身と、月10万の独身なら単純比較できるし、月100万の夫婦と月10万の夫婦も同様だ。
ここで、僕自身の話に戻ろう。
僕が「僕の幸せは10万円」と言ったら、他の尺度が同じ状態なら単純比較ができるわけだ。つまり、僕は「僕の幸せが100万円」のときと、どっちが幸せなのかを比較することが出来る。
さて、そのうえで考えよう。10万の時と100万の時、一体どっちが「良い」のだろうか?どちらが幸せなのかは明白だけど、どっちの方がきれいで、人間らしい人間でいられるのだろうか?