来月初めに迫った引っ越しのために、僕はちょこちょこと荷物整理を行っていた。もう使わないものを捨てたり、もう読まない古本を売ったり……もともと物が多い方ではなかったけれど、幼いころからの積み重ねもあり、それなりの量を捨てている。
そうやって荷物整理をしていると、必ず出てくるものがある。思い出の品、といやつだ。昔は片付けのたびに「あーこれあんときのじゃん!懐かしー」やら「これめちゃくちゃ使い込んだよなー」のように思い出に浸る時間がたくさん生まれてしまって、片付けが進まなかったことを覚えている。
ゆえにものを捨てるのは億劫で、捨てることに未練はないけど、捨てるという行為自体に面倒くささがあった。
――んだけど、どうやら僕は冷たい人間になってしまったのかもしれない。
片付けは思いのほかスムーズに進み、段々と我が家にあるモノは少なくなってきている。思い出の品も沢山捨てたけど、昔ほど感傷に浸らなくなってしまった。
うん、もちろんそんな品を見つけて何も思い出さないわけじゃない。でも「あ、これ懐かしー(ごみ袋に入れながら)」ってカンジで、そうやって思い出す作業は以前よりかなり簡略化されてしまった。以前なら丸まる1分は記憶にふけっていたであろう品も、捨てながら数秒思い出すだけ。
おかげで実にスムーズにマンパンのごみ袋がいくつも生成され、家のスペースは広くなっていった。これはまぁ、喜ばしいことかもしれない。時間がかかると思っていた作業が思いのほか早く終わったんだし。
……でも、同時に自分に対して憐れみというか、なんというか……そんな感情を抱いてしまう。
なんかー、昔は思い出をしっかり思い出すくらいには大切にしていたのに、今はそんなの顧みない情緒のかけらもない人間になっちゃったんだね、って。僕自身にとっての思い出の価値が下がっちゃったのかね?、って。それは成長かもしれないけど、とても悲しいことのような気もして……
ブログ書いていたらよくわかるけど、人の記憶なんてほとんど当てにならない。半年前にあったことなんてろくに思い出せないし、自分のブログ見返して「あー。こんなことあったなー」ってなるくらいだ。半年程度でもそうなるのだ。時間が経ってしまったら大事だった感情も記憶も薄れてしまう。「誰かが忘れても僕が覚えてる」みたいな、記憶の中に残してるよ系のセリフなんてのは、自分が永久の存在で記憶のアップデートを行わないと勘違いした人間のセリフである。
それを思い起こしてくれるのは物である。それを捨てるのは大事だった記憶と感情を捨てるともいえるはずなのに、それに対する思い入れがない。
だから寂しい人間になったな、と。過去を軽率に捨てられる人間になったのだ、と。そう自分を評価して何とも言えない気持ちになるのである。