僕は大学2年から一人暮らしを始めて、その時に通学のために原付を購入した。中古で破格の4万円。……っていうかなんか譲ってもらったに近い形で入手した。
あれから3年。彼は僕を乗せて海沿いの通学路を走り、UberEATSの配達にもこき使われた。本当に色んなところでお世話になったものである。立ちゴケしてミラー割ったり、ミラーいつの間にか取られていたり、パンクしてタイヤ変えたり、ライトつかなくなったり……色々あったけどこれがあったおかげで移動がとても楽になっていた。冬は乗りたくなかったけど、便利なことには変わり無かった。まさに彼はこの3年間の生活に必要不可欠な存在だった。
しかし。僕は春から東京。さすがに在宅勤務多めと聞いているし、交通網も発達しているから原付を使うこともすくなくなるだろう。そう、これからの新生活に彼は必要ないのだ。
だとすればもう福岡の地に置いていくしかない。中古で売るのもありかと思ったが、やはり愛着のある原付。誰か知り合いに乗る人がいるなら譲ろうと思った。
何人かに話をして、結局2個下の後輩に譲ることに。普段から良くしてもらっている後輩だ。
2月の晴れた日。僕は彼と最後のドライブに行った。自然豊かな糸島地域を1周。まだまだ気温も低く寒かったけど、向かい風はこれまでの記憶を思い起こしてくれるようで、なんだか心地よかった。
後輩の家に着き、簡単に使い方を説明して途中まで記入された廃車証明書を手渡す。これでお終い。もう僕が彼に乗ることは無い。
帰りはバスに乗って、1時間ほど。原付なら30分で済んだ道を帰る。道を見るだけで思い出を思いおこすことはないけど、一抹の寂しさだけが残っていた。
次の日、バイト終わり。
コンビニで夕食を購入して暗い道を1人歩く。家が見えた時、なにか違和感があった。何かあるはずのものがない感覚。いつもならそこにあったハズのものがない感覚。そう、いつも置いてあった原付がそこには無い。
このいつもと違う感覚ってのはいつも寂しさをもたらす。あー変わっちゃったんだって、こういう時に自覚する。もう戻らないんだな、と思わせてくれる。
段々と今の生活が終わっていく感覚。大学を卒業して、新生活へ変わっていく予感。そんな変化の一端が、原付を手放すということなのかもしれない。部屋の片付けでは感じることのなかった、終わりの実感を原付は最後にくれたようだ。