lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

身体的な寂しさ

寂しい、と思うことは人であれば誰でもあると思う。僕はそんなに感じることは無いけれど、ふとした時に寂しさを感じることはある。

 

ほんとにたまーに感じるのだ。だいたい半年に1度くらいかな。誰かと触れ合いたいとか、一緒に寝たいとか……まぁそんな感じの行為をしたくなることがある。別に発散しなくてもそのうち寂しさは薄れるけど、できるなら発散しといた方がいい気もする。

 

こういう寂しさはただ友達と遊ぶだけじゃ解消出来なかったりする。遊び行って、ご飯食べて、解散する。それだけだと、人に触れ合いたいってタイプの寂しさは解消できない。

 

けど、そうやって友達と遊ぶことで寂しさを解消できることもある。誰かと話したいってタイプの寂しさの時は、それで友達と笑いあって楽しいことでもすれば寂しさもかき消せる。

 

僕の心象に現れる寂しさはこのように2つに分類できる。話すこと、触れること。そのどちらかが不足することで寂しさを覚える。

話すことで解消されるタイプの寂しさは、正直いつでも解消できる。ありがたいことに「遊ぼう」と言えば一緒に付き合ってくれる友人は数多くいる。これが10年後にどうなっているのか、と言われれば少し不安もあるが、まぁ楽しんでいるだろう。

 

問題は触れることで解消される方だ。

こちらはだいぶ厄介で、恋人の1人でもいれば気にしなくていいんだろうけど、残念ながら僕にはそういう相手は居ない。

それに恋人はめんどくさいという感情の方が勝ってしまって積極的に作る気にもなれない。っていうかその気になっても出来るとは限らないが……

 

ってなるとそういうので解消させてくれる相手がいないのだ。なのでフラストレーションが溜まっていってしまうのだが、触れることが出来れば誰でもいいって言うわけでもないのが僕のめんどくさいところである。

この寂しさは1度そういう経験をしてから出てくるようになった。経験しなければ何も感じなかったのに……的なやつである。これを抱えたまま発散出来ずに歳だけをとると異常独身男性にレベルアップでもするのだろうか。

 

寂しさを覚えるのだからある程度きちんと対処するべきなんだろうけど、うーん……そうなると嫌な部分もあるからなぁ。そういう他人との深いコミュニケーションが必要になる要素は未だ経験不足なのかもしれない。