lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

自分のこと一番褒められるのは自分

自分がブログを投稿していることもあって、よく人のブログを読むんです。エッセイみたいなこと書いてたり、実用的だったり……多種多様でとっても面白いんだけど、たまに僕と意見違うなぁってブログもあったりする。

それはその人の意見だし、否定することではないと思う。……がそれはそれとして、いろいろ考えるいい機会になったのでその思考の足跡くらいは残しておこうと思う。

 

誰の記事なのか、細かい内容は伏せるが、内容は「自分は勉強頑張ってるからっておごっちゃダメ。褒めてくれるのは周りなんだから、周りへの感謝を忘れないようにしましょう」みたいな感じ。

 

うんうん、それは確かにそう。僕もそう思う。でも、一文だけ引っかかることがあって。

 

多くの人が「どうしてこんなに勉強を頑張っているのに誰も褒めてくれないんだ!?」となっている。

 

このことがね、なんかあんまりよくないことみたいなニュアンスで書かれていたわけですよ。そこが無性に引っかかって……いや、それはなんか違くね?って。

 

自分でも何がそんなに引っかかるのかよくわからなかったから考えてみた。……うん、これあれだ。経験だ。経験則で「努力自体は褒められなくなる」と分かっているからだ。

さいころならまだしも、高校生くらいからは「途中経過を褒められる」ことはそうそうない。だいたいは「結果を褒められるのだ」。もしくは結果が出るまで途中経過に触れられない。

 

例えば大学受験。合格すれば「頑張ってたしね!!」と褒められる。落ちても「まぁ頑張ってたけど、残念だね」と慰め混じりに褒められる。

……がしかし、それまでの過程は?勉強しているのが当たり前なのだから、褒められることはない。少なくとも僕はそうだった。

大学合格した途端、みんな掌を返して僕を褒め称えた。「勉強頑張ってたもんな」なんて言いながら。褒められてるのに「見てない癖にどの口が言ってんだ」って嫌みを吐きたくなったのを覚えている。

 

――まぁそんな極端な自己経験は置いておくにしても、大人になるにつれて「過程」を褒められることはなくなる。なので褒められなくなるのは自然なこと。

でもさぁ、「なんで褒めてくれないんだ?!」って思うのは悪いことじゃないと思うんよね、やっぱ。承認欲求は仕方なくね?

問題はその承認欲求をどう他人にぶつけずに処理するか、だと思うわけさ。

 

色んな回答があると思うけど、僕は「じゃあ自分で自分のこと褒めるしかなくね?」と思うわけです。なので「俺今日超頑張った!!!自分偉い!!」としょっちゅう自分のことを褒めている。まぁそうやって折り合いつけているわけです、承認欲求とね。

 

んで、そんな感じだから「”なんで褒められない?!”って思わずに周りに感謝しましょう」ってのになんか納得いかなかったのである。それを思うのはいいだろ。大事なのは処理の仕方だろ、と思ったわけよ。

 

――なんて自分の心の引っかかったポイントを解き解したって話です。論理の矛盾みたいなツッコミもいっぱいできる文章だったんだけどね。独り言のようなブログにそれをするのは野暮だし、自分の中で整理できればそれでいいかってカンジ。

でもその人の文章自体は、なんか引き込むものがあって好きだった。いろいろ考えるいいきっかけですね。