lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

師匠の師匠が倒れた話

数ヶ月ぶりに師匠から連絡が来た。

師匠とは小学一年生の頃からの長い仲で、元々習い事の先生だった。僕の人生に最も影響を与えた人物であり、今でも尊敬している数少ない人の1人だ。

 

師匠は僕が精神的に不安定だった時期も知っているので基本心配からコミュニケーションが始まる。

「最近は楽しんでますよ!」って感じで世間話。までもあの人なんの理由もなく僕に連絡してこないからな。なんか要件があるんだろう。

 

なんて思ってたら「〇〇先生が倒れて入院されている」ということを師匠は話し出した。〇〇先生は、言うなれば師匠の師匠であり、僕視点からの大先生的な人だ。僕も何度かお会いして稽古つけてもらったりしたことがあるが、大工でもないのに自分の家作ったりする求道者みたいな人だ。

もう結構な高齢で、以前にも1度入院していたハズ。

 

「〇〇先生、元気ないから、近況報告&応援動画を送って欲しい」

 

--との事だった。元気づけるためのビデオレターね、なるほど。

この感じだと大先生に縁がある人のビデオレター集めて送る感じだろう。

大先生には元気でいて欲しいのでビデオレターはもちろん送ります。カメラの前で話すの久しぶりすぎて何度も撮り直したけど、とりあえず撮って師匠に送った。

 

 

それから1週間くらいした頃。大先生から直接LINEが来た。内容は要約すると「ビデオレターありがとう!早く元気になるのでまた福岡(僕の地元)で会おう!」って感じだった。ビデオレターが無事届いて、励みになってくれたようで良かったと一安心。

 

その中で大先生は「私もすっかり老人になりました」なんて言っていた。

 

--あぁ、そっか。先生もう70過ぎのおじいちゃんか。

そんな当たり前のことで、字面としては理解していたことを実感した。大先生はもう高齢で、恐らくもう数える程しか会うことが出来ないの……いや、後からでもいいや、と僕が思い続けていたらもう永遠に会うことは無いかもしれないということを実感したのだ。

 

僕は地元を離れて就職した時、師匠や大先生から、いわば「巣立った」ような感覚でいた。

それと同時に「まキツくなったら何時でも帰れる」とも思っていた。故郷なんてもんはどれだけ時間が経ってもあり続けるものだなんて無意識に考えていた。だけど……故郷という場所はあるかもしれないけど、それを形作る「人」はいつまでもいるとは限らない。

 

「大先生元気になったら、また会いに行かないとな。」

 

--なんて呟く。

“元気になったら”なんて言っている時点で、僕は今回のことから何も学んでいないのかもしれない。