鶏胸肉さんは私の生活の主食である。学生時代、貧乏学生だった私を助けてくれた。100g54円という破格でいつも家計を支えてくれた。鶏胸肉さんがいてくれたから、学生時代に飢えずに済んだ。あの方が胃袋を満たしてくれなかったら今頃私は……
ううん、ネガティブなことを考えるのはよしましょう。とにかく鶏胸肉さんのおかげで私の生活は助かっていた。いや、今も助けられている。
私もそんな鶏胸肉さんを美味しく食べるために色んなレシピを覚えた。シンプルに塩胡椒で焼いたものから始めて、照り焼き、鶏ハム、よだれ鶏、鍋、水炊きetc。いっぱいレシピを覚えて、彼ばっかりでも飽きないようにしたの。彼もそれに応えてくれて、美味しく食べることができたと思うわ。時短レシピなんかも覚えて、あの頃は幸せだった……
鶏胸肉さんが100g64円に値上げしても、私たちの関係は続いた。だって10円値上げしたとしても他の奴らより安かったんですもの。彼は「安さ」という最大の魅力では他の追随を許さない。圧倒的だったわ。
だからこそ、うちの食卓にはいつも彼がいた。私は彼のことしか眼中になかった。他の肉のことなんて考えもしなかったわ。
そんな私も社会人として上京し、もう半年が過ぎた。鶏胸肉さんは上京しても変わらず、私のことを支え続けてくれている。
おかげで家計に余裕があって、欲しい物が買える。うちの会社は給料が多いわけではないから、その点はとても助かっている。
でも……でもね?さすがに飽きが来るの。嫌いになったわけじゃないの。でも数年も食べ続けていると、「マンネリ」って言うのかしら。どれだけ料理のバリエーションを増やしても、味付けを変えてみてもダメなの。
スーパーに3割引で並んでみるのを見ても「今日もあなたか……」と呟きが漏れる。彼は何も悪いことはしてない。むしろ私の方が悪いのだけど、そう思ってしまう……
そんな時、彼の横に並んでいる鶏もも肉に目が行くの。同じように3割引のシールが貼られているけれど、やっぱり彼より少し割高。
でも、社会人になった私ならそこまで高いわけじゃない。100g107円くらいなら出せてしまう。
「……ダメダメ、私には鶏胸肉さんがいる」
雑念を振り払って鶏胸肉さんを手に取る。でも彼を料理して食べても、頭のどこかでもも肉のことを考えてしまう。もも肉の唐揚げ食いてぇな。
--そんなある日。ついに私はもも肉に手を伸ばしてしまった。その日はもも肉だけに3割引シールが貼られていた。揺らいでいた私の心を鶏胸肉さんから引き剥がすにはそれで十分だった。胸肉ではなくもも肉をカゴに入れてレジへ。私はついに彼を裏切ってしまった。
家に帰り、もも肉を料理する。今回はシンプルにクレイジーソルトをかけて焼くだけ。鶏胸肉さんへの罪悪感を感じながら、もも肉を火にかける。油の弾ける音は禁断の果実の香りのようで。
でも、ほら。食べてみたら意外と鶏胸肉さんとそんなに変わらないかもしれないじゃない。そしたらもも肉に手を出す理由なんてないし。謝ってまた彼を食べればいいだけの話。
ジューシーなもも肉を見ればそんな言い訳が通用しないのは分かりきってることなのに、私は自分を正当化するためにありもしない期待をする。
焼いただけなのに、この油。あの人と全然違う……
私はわなわな震えながら「いただきます」と手を合わせる。頭は罪悪感やら期待やら裏切りへの恐怖やらでごちゃごちゃになっていた。
箸を伸ばし、もも肉を一切れ頬張る。
--あっ、美味しい!すごいジューシー!
あの人じゃこうはならない。どんなに工夫してもどこかパサパサなの。それも魅力かもしれないけど……今の私を満たしてくれるのはこのジューシーさ。私はついに言い訳をやめて、ただひたすらに謝る。
「鶏胸肉さん、ごめんなさい……パク……私、もぐもぐ……あなたじゃ満足出来ない……もぐもぐ。鶏もも肉のジューシーさが私を満たしてくれるの……ごくん」
--あー、クソうめえ。