lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

喋る時のスマホ

スマートフォン。現代では一人一台携帯していることが当たり前となっているデバイス。様々な機能を有し、いつでもどこでもインターネットに接続できる。SNSで目の前にいないのにつながることができ、もはや物理的距離で友人関係を切る必要もなくなった。

 

そんな時代。スマートフォンは個人が出先で自分の個別空間を形成することに一役買っている。満員電車に乗れば、誰も彼もが自らのスマホに目を向けている。それぞれがそれぞれに自分の見たいものを見て、満員電車とかいうつまらない日常風景を無視している。

すぐそこに他人がいるのに、その存在をスマホというデバイス一つで半ばシャットアウトしている。本や音楽で形成していた空間を、今はスマホが作り出している。

 

さて、このスマホによる個人空間の形成。周りの人間からは「話しかけづらい」という効果がある。自分は今スマホにあるコンテンツに集中しているので、話しかけられても困る。と、なんとなくそういう雰囲気を醸し出す。

これは本人にその気があろうとなかろうと生み出されるもので、もちろんそれを全く意に介さない人も居るが、多くの人がなんとなくその雰囲気を察するだろう。

 

二人で居る時にスマホばっか見てる相手がいたら話しかけにくいし、その相手がスマホを閉じたら「コミュニケーションを取ろう」という合図ともとれる。

まぁ仕事に集中している上司に話しかけづらい……ってのと同じ現象だろう。まぁこれはやりづらくても話しかけるべきなんだけど。

 

ただ、仕事中でもなければスマホ触っている相手にむりくり話しかける必要はない。なので、僕はそういう相手には話しかけない。

 

――このような思想を持っているので、僕は誰かといるときはできるだけスマホを触らないようにしている。もちろんそれを絶対順守しているわけではないが、基本的にはスマホを触るのは待ち時間や相手も触っているときだけだ。

特に会話や雑談の時は触らないようにしている。写真見せたり、話してて気になったことを「ちょっと調べるね」と言って検索することはあるけど、まぁそこは臨機応変

 

ただ、自分がそうしていても相手もそうであるとは限らない。

僕みたいに小難しいこと考えない人の方が多いだろうし、スマホを触ることがコミュニケーションの妨げになるなど考える余地もない人だって多分結構いるだろう。

そういう相手に、わざわざ自分の考えを押し付けるのはエゴである。なので僕は普段それを指摘することはない。まぁそもそも悪いことではないし。もしかしたら本当に僕とコミュニケーション取りたくないのかもしれないし。

ただ、相手がスマホ見てるとき、僕が見ないようにしていると自然に手持ち無沙汰になる。相手の行動がなければ、僕は何もしていないのと同義なので目の前に相手がいるのに暇になっているという意味不明の状態になる。

 

それはもう仕方ないことだとは思っているのだけど……少し寂しい。せっかく目の前に僕がいるのだから、スマホの向こうの多人数より僕に興味を持ってほしい……なんて思わないって言うと嘘になる。

そんな時ってどうするのが正解なんだろうね?今のまま何も言わないのがいいのかな。