lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

中学生……眩しすぎる……

僕はVRCHATという、いわゆるバーチャルSNSというものをよく遊んでいる。仮想空間でアバターを使用してボイスチャットとボディランゲージでのやり取り。オンライン上で全てが行われることもあり、様々な人に会える。

同じ業種の人間や、全く別の職に就く人。無職の人もいれば大学生も。自分より一回り年上の人だっている。いい人もいれば悪い人もいる。そんな中で先日出会ったのは中学生だった。……中学生?!

 

正直こんなネットの片隅で中学生に会うとは思ってなかったのでかなり驚いた。いやまぁ……興味は抑えられないよね……うん、そういうことにしておこう。とりあえず「オフ会には行くな」とだけアドバイスしておいた。絶対ダメだよ。

 

んで、その中学生の子と色々話してたんだけどさ。……なんというか。あんまりにも眩しすぎる。自分が未だ何者にでもなれると無邪気に信じて疑わない姿勢。周囲とは違って自分は何か特別であるという自信。その子は今の僕が失ってしまったものを明確に持っている。

誰もが昔は持っていた……持っていることに疑う余地すらなかったモノ。それが言葉の節々から見え隠れして、自分がいつの間にかおじさんになっていたのか、なんて気付かされる。

 

でも、同時にそんな中にある屈折も感じられた。自分には理由なくアイデンティティがあって、他者のそれに合わせることが辛くて……みたいな。今のは一例だけど、理想と現実の間での屈折が見て取れた。

それは僕からしたらもう二度と味わうことが出来ない感覚で、少し羨ましいとまで思うものだった。でも本人からしたらそれは苦しいもので、さっさと自己解決してしまいたいものなのだろう。

 

なんというか、やっぱり中学生と社会人は違うんだな……と思ってしまった。その子の感じている苦しみや喜びには僕も経験してきたものがいくつもある。しかし、今の僕にはもう経験出来ないであろうものだ。だから共感は出来るけど、共有はできない。リアルタイムに同じモノを感じることは出来ない。

 

その事実が、自分にはもう無いモノを強く意識させる。それを平然と、意識することも無く持っている中学生という存在が途轍もなく眩しい。

自分ではまだまだ大人になりきれていないように思えていたけど、その実そんなことはなくって……変化したことに気づけないからそう思い込んでしまっているだけで、いつの間にかしっかり大人になっていたのかもしれない。今の僕にはなく、その中学生にはあった曖昧模糊なモノを失うことが、大人になるということなのかもしれない……なんて。