18時になると、間もなく開演するとのアナウンス。アリーナ4Fの席からステージは遠く、きちんと見えるのか少し不安である。
辺りは暗くなり、静寂がアリーナを包む。パッと明かりがつくと、中央の家のセットの中に男が一人。脚本を片手に、物語を読み始める。
ライブの経験があまりない僕が見ても、これが異質なことはわかる。ペンライトを振ることもなく、全員が着席したまま、静かに朗読を聞いている。いや……これは演劇か。そう……舞台もきちんと用意され、大振る舞いの彼を見ていると、ここがライブ会場だと俄かには信じられない。
彼の語りが終わると、イントロが流れ始めた。ああ、いつも聞いているあの曲だ。
一つ一つ語っていたらきりがないので、全体を包括した感想だけ語らせてもらう。
結果として僕はなんでヨルシカの音楽が好きだったのかを思い出した。シンプルな話だ。彼らの音楽に心を揺さぶられるからだ。
最初は音楽と間に挟まる語りの関連性とか色々考えて聞いていたけど、だんだんと音楽に心惹かれていった。
目に入る映像、耳のみならず体にまで響き渡る音楽。そのすべてが脳に溶けていく感覚。大音響とまぶしい光のはずなのに心地よい。スマホも触れず、他のものに気を割くことも許されず、ひたすらに自分の好きな音楽と向き合う時間。
ヨルシカの楽曲を聞くたびに、涙腺が緩んでいくのを感じていた。泣きそうになりながら、ひたすらに音楽に耳を傾けていた。泣きそうなのは悲しいからではない。むしろ楽しくて頬は緩んでいる。だが、涙がこぼれそうになる。
後半、「靴の花火」の時、ついに涙腺が崩壊した。頬を伝って涙がこぼれる。理由なんてわからないけど、涙がこぼれる。あぁ、何故なんてものもなく心を揺さぶられる。それが好きだったのだ。
社会人になってから泣くことなんてそうそうない。それほど心を動かしてくれるのは僕にとってヨルシカの音楽だけだったのだ。
――だから僕は彼らの音楽が好きだった。
そうして忘れていた根本を僕は無理矢理に思い起こされた。正直一個一個の細かい感想とか出てこない。そんなの覚えてられない。その瞬間を受け止めるので精いっぱいだった。
――2時間半はあっという間だった。
演劇の物語もきれいに終わり、ライブも終わる。
会場を出る前に写真を1枚だけ撮った。ヨルシカのことをもっと知りたいと思って来たのに、わかったのは僕がこの音楽を好きなことだけだった。でも、それが分かっただけで十分価値のあるライブだったと思う。
……また来ようと思う。夢のような心地よい時間だった。
セットリストが公開されていました。
ヨルシカ LIVE 2024「月と猫のダンス」
— ヨルシカ(n-buna、suis) / Official (@nbuna_staff) 2024年4月7日
最終公演
終了致しました。
セットリストと参加メンバーを公開致します。
是非ご覧ください。
ご来場いただきました皆様、ありがとうございました!#ヨルシカ_月と猫のダンス pic.twitter.com/8rajcKtqZ8
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