ある日曜日、ふと立ち寄ったコーヒーショップ。
背筋のピンと伸びた店主が豆を煎るのを待っている間、店内の本を読んだり、装飾を見たりして時間をつぶしていた。そんな折、ある一冊の絵本を見つけた。
セロ弾きのゴーシュ。かの有名な作家、宮沢賢治の書いた童話である。宮沢賢治のお話として有名なのは教科書にも載っていた「やまなし」とか「風の又三郎」だろうか。又三郎は小学生の時、母が買ってきた小説群の中に入っていた。
そんな宮沢賢治の童話ではあるが、セロ弾きのゴーシュに対しての僕のイメージはヨルシカで構成されている。ヨルシカは童話や小説をテーマにしている楽曲が数多くあるのだけど、先日行ったライブのテーマがまさにこれだった。
夜、音楽に合わせて踊る動物たち。そのテーマはこの絵本から取られているらしい。
さらにヨルシカの作詞作曲を務めるn-bunaさんのボカロP時代までさかのぼると、まさにこの絵本をテーマにした「セロ弾き群青」という楽曲もある。僕がセロという楽器を知ったのはこの曲がきっかけだ。
そういうわけで僕のこの絵本に関する知識はヨルシカ、強いてはn-bunaで構成されている。確かセロの奏でる音を聞きに毎晩動物たちが家にやってくる……みたいなお話しだったか?……までも僕はまだ読んだことがないので、コーヒーの待ち時間で読んでみることにする。
――ゴーシュは街の音楽団の一員でセロを弾いている。彼は楽器がそれほど上手ではなく、楽団でもよく指摘を受けていた。
ある夜、ゴーシュがセロを持ち帰り、夜半過ぎまで練習していると、誰かが戸をたたいた。開けると、そこにいたのは猫だった。
……的な感じで、毎晩動物たちが代わる代わるやってきてゴーシュのセロの音を求める。というお話だ。
そこまで長くもなく、お話し的にもハッピーエンド。流石は宮沢賢治、わかりやすくも奥深い童話になっている。
n-bunaさんはここから着想を得て、あのライブを作り出したのだと思うと……なんというのだろうか。この童話からすごくスケールが大きくなったように思う。というか改めて読んでみて、ライブの演出のオチまで完璧にこの話と一緒だったことに気づく。めちゃくちゃしっかりオマージュである。
でも逆に「セロ弾き群青」に関しては……なんというか真逆である。動物たちに出会えなかったゴーシュの姿って感じ。アナザーストーリーみたいな歌詞になっていた。
でもどちらにしても、このお話がバックボーンに見え隠れしているのは感じ取れた。どちらもこの童話を現代に落とし込んだような感じである。
こういうバックボーンにあるモノが分かると、楽曲や演出に対しても今までとはまた違う感じ方ができるのかもしれない。
たまには童話を読んでみるのもいいな、と感じた日曜の午後でした。
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