lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

楽しいかどうかは楽しいと思えるかどうか

僕は「あなたの生きる目的は?」と聞かれたら「楽しいことしたいから」と答える。高校の頃に心に決めたこの人生指針は、今も変わらず僕の最重要事項だ。

楽しくなければ僕の人生は生きる価値無し。楽しいこと無くなったら僕は人生を絶とうと決めている。勘違いしないで欲しいのは、この原則は僕が僕にだけ適応しているのものだ。他の人間のことなど知ったことでは無い。

 

さて、そうは言っても人生、楽しいことばかりでは無い。辛いこと、苦しいことはそれなりにある。じゃあ僕はそれを避けて通るのか……いやぁ、そりゃ無理でしょ

そこで僕がつける現実的な折り合いは、今後楽しいことが起こる見込みがなくなったら終わり。つまり今苦しくても、先に楽しいことが待ってるなら良し……と言った具合だ。

まぁこれくらいが現実的。楽しいことだけしたいけど、それを実現しようとして辛いことから逃げちゃうとね……あとからデカくなって帰ってくるものだから。僕には自殺を先延ばしにする趣味はない。

 

嫌なことも必要であれば受け入れるスタイルではある。そうは言ってもそれは少なければ少ないほどいい。楽しいことが多いに越したことはない。

僕にとっての楽しいこと、それはシンプルに自分が楽しめるか、面白いと思えるか、笑顔でいられるかどうかである。

 

--これは高校生の時に見つけた裏技なんだけど、人生における楽しいことの比率って実は増やすことが出来る。

それは楽しいと思いこんで、とりあえず笑顔になることだ。人生における「嫌だなぁ」と思う出来事は、大抵色んな要素を孕んでいる。例えば仕事で責任重大なタスクを任される。これを嫌なことと思う根本は失敗した時のリスクがデカいことだ。それ以外のことに目を向けてみれば、新しいスキルが得られるとか、退屈しないとか……そう思い込めばなんだか楽しめそうな気がしてくる要素ばかりだ。

 

いやいや、そうはならんやろ。嫌なことは嫌なことだよ……って人が大半だと思う。でも面白いって思い込めば大概なんかしら楽しい部分があるんだよね。その思い込みが完全にハマってしまえば、嫌なことは楽しいことに成り代わる。すると……ほら、人生の楽しいことが増えたでしょ?

 

「それってただそう思い込んでるだけでほんとに楽しいことじゃないのでは?」

 

そんなの関係ないね。僕にとって重要なのは僕が楽しいかどうか。他人からどう思われるかはまた別の話。だいたい心の持ちようの話なので、他人からどう思われるとかないし。この思考を他人に押し付けなければいいだけだし。

 

こんなふうに理由をつけて、何事も楽しもうとしてみると、あら不思議。人生ってのは思ったより楽しいことが多い。嫌なことは嫌でも目につくけど、楽しいことは意外と見落としている。そんなことに気づく。

リスカするほどの高校時代を思い返しても、いい人たちばかりだったと言えるのは、その人たちと何かしら「楽しい」が結びついているからだろう。

 

僕はこれからも自分のために、人生と楽しいと思い込む。それで僕は生き長らえる。自分が本当に楽しいと感じていたのかどうか分からなくなっても、今が楽しければそれでいいのだ。