lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

デバフのない「普通」の難しさ

普通の人間。

そつなく仕事をこなし、体調を崩すことなく五体満足、コミュニケーション能力にも問題がなく、朝寝坊することもない。物忘れもせず、約束はきっちり守る。両親は二人ともいるし、大学まで進学し、うつ病になることなく20後半には結婚する。

 

うん。多くの人が思う普通の人間ってこんな感じだろうか。大学云々は僕の周りだけかもしれないが。

改めて自分を顧みると、このすべてをそつなくこなせている人は少ないんじゃないかと思う。大抵どっかが欠けていて、ちょっと自分のことを普通の人間と評するのは難しいかもな、と思うのではなかろうか?

僕もそうだ。多分20後半で結婚しないし、睡眠障害はあるし、アレルギー持ちで春秋はスペックが落ちる。これだけでもう、普通の人ではない。

 

これは別にめちゃくちゃ酷いデバフではない、と思う。いや僕自身としてはつらいんだけど、世の中もっと酷いデバフ持ちの人はいるだろう。五体満足なだけ感謝するべきかもしれない。でも、めちゃくちゃ健康無問題ではない。普通の人間と自分を呼称できない。

 

最近思うのである。どこも欠けることなく普通であったらそれはもう特別なのではないか、と。人々の普通概念をすべて持っている人はかなり希少なのではないか、と。なのに、その認識が普通なのである。まったく矛盾も甚だしいことこの上ない。

どうせ最初から普通がムリゲーなど希少なステータスならそれを普通呼ばわりしないでもらいたい。もっと普通の基準を下げろ。今の日本じゃそんなの普通じゃない。

 

ここからは個人的私怨だが、朝起きれることを普通扱いしないでほしい。アレルギーで体調崩さないことを普通扱いしないでほしい。それが当たり前のように扱われるから相手に悪気はなくてもこっちの苦悩は理解されない。

うつ病とか片親とか、きっとその辛さは理解されないんじゃなかろうか。だって普通の人はそうじゃないから。現に僕もそうじゃないから、それがどれくらいつらいことかわからない。

 

この一文で、僕自身も普通にとらわれていることが分かってしまう。自分が受けているデバフ以外は、普通の物差しで考えてしまっている。それが情けなく思うのと同時に、仕方なくも感じてしまう。

その物差しを変えることは難しいかもしれないけど、せめて普通じゃない、デバフ持ちの人間を理解しようとする姿勢は失わないでいたいと思う。僕がそういう風に扱われたいから。