無料公開で読んだ「おやすみプンプン」の感想
7/7。ツイッターである漫画が禅話無料公開になっていることが話題になった。
その名も「おやすみプンプン」。鬱漫画として有名な作品である。その名前だけは知っている人も多いだろう。
独特の雰囲気、主人公は「プンプン」という謎キャラ、圧倒的鬱展開などの情報を知っているが、実際に読んだことはない……そんな人もおおいのではなかろうか?
僕ももれなくそういう人の一人である。
前々から興味はあったけど読むタイミンウがなくって読めなかった……そんな僕にとっては今回の全話無料はまたとない好機だった。
と、いうわけで以下、全話読後の感想です。
ネタバレ注意。かつ全部読んだ人向けの感想です。
青年漫画独特の、大量の風景描写
僕がこの漫画を読んで最初に連想したのは「アイアムアヒーロー」の一巻だ。日常のふとしたシーンを切り取って、ぼんやり流れていく日常を描いている。
しかし、重要なシーンは目いっぱいページを使って表現する。
例えば、小学生時代の愛子ちゃんと約束した待ち合わせ場所をタクシーで通り過ぎるシーン。見開き2ページ使って表現される愛子ちゃんの泣き顔はかなり印象的なシーンだ。
そういうシーンが映えるのは、多くの風景描写のおかげなのかもな。なんて思ったりした。
対比
多くの対比が出てくる。それはほとんどの場合で、まともな生き方をしている人と、そうではない人のものだ。この作品にはまともじゃない思考や家庭環境のキャラクターが多く出てくるが、たいていの場合はまともな人間も同時に書かれている。
その最たるものが、愛子ちゃんの待ち合わせとさっちゃんの待ち合わせの対比だ。
愛子ちゃんの時は、愛子ちゃんはまともじゃなくて、プンプンがまともだった。しかし、物語後半のさっちゃんとの待ち合わせをスルーするシーンは真逆である。(経緯はさっちゃんもたいがいまともではないが)さっちゃんがまともな方で、愛子ちゃんとプンプンがまともじゃない方。
だからこそ、その異常性が映える。
それは人と人の対比だけではなく、一人の過去と未来でも同様だ。
もともと家庭環境はともかく、感性はまともよりだったプンプンは、成長とともにその感覚や思考をまともじゃない方に偏らせていく。
だからこそ、後半のプンプンは異質に見えるし、それまで異常だった愛子ちゃんがまともにみえるほどになる。
ここにプンプンのビジュアルもついてくるわけだから、その不気味さ、鬱感に異常なほどリアルな質感が伴う。
どこにでもある話
この漫画が鬱漫画たる最大の所以は「どこにでもありそう」なことだと、僕は読後に思った。
確かに後半は衝撃的で切ないけど、そこに至るまでの過程は誰にでもあるものばかりなのだ。
好きな子が忘れられなかったり、性欲が先走って振られたり、仲良くなった先輩と好きな子が付き合ってたり……こう聞くとどこにでもある話だ。家庭環境も含めて、どこにでもある話だと思う。すべて当てはまる人はそうそういないと思うけど、一部当てはまる人はかなりおおいのではないか。
これを「いやそんなのないだろ」と一蹴できる人は、相当幸せな環境にいるので周りの人を大事にした方がいい。
しかしその積み重ねで、プンプンは歪んでいく。
そしてそうやって歪んでいったプンプンに、再開した愛子ちゃんがとどめを刺す。
それがなければ、プンプンはそこらへんにいるちょっと根暗なやつ程度の人間だと思う。
つまり、一つ一つはどこにでもある話なのだ。それがうまく重なってしまったせいで、あの結末に至るだけで。
まとめ
最後は、前向きに生きようみたいな終わり方だったから読後感は悪くなかった。あと、面白くなってくるのが100話超えてからで、そこまではただただプンプンの人生の起伏を描いているだけなので、そこでリタイヤしてしまう人も多いかもしれない。
だが、面白い部分である100話以降を楽しむためのエッセンスは、それより前にちりばめられている。
最後の結末は、個人的にかなり衝撃的だった。途中で沈んだ気持ちになったけど、読んでよかったと思える作品だったと思う。