lothar’s diary

社会人1年目のSE雑記ブログ。毎日20時更新

薬に生かされている

 

僕は日常的に睡眠薬を飲んでいる。

僕は概日リズム睡眠障害というものを持っていて、体内時計が普通に生活しているとどう頑張ってもズレていく。それを調整するための睡眠薬だ。睡眠リズム崩れているときはネガティブ、無気力になるしまともな人間の生活ができなくなる。薬を飲んでいるとそれがマシになって、ある程度気力のある日常生活を送れるようになる。

 

幸運なことに薬剤耐性が付くこともなく、1年近く飲み続けている。

ただ、長期休みだったり、朝起きる必要がないときは別に薬を飲む必要性もないので、飲むのをサボることもある。これが1日ならさほど大きな影響もないのだけど、2日、3日と飲まない日が続くと、昔の無気力な駄目人間が顔を出す。

何のやる気も起こらず、布団で横になってマイナス思考だけを巡らせる。そんなまともとは縁遠い自分にいつの間にかなっている。こうなるとマジでいいことが1つも思いつかなくなるのよね。

 

だが、その状態も薬1つで元通り睡眠薬を飲んで、一晩眠ればまともな人間に!……うむ、薬とはすばらしいものである。っていうか薬ないと仕事もまともにできないんだろうな。実際薬の無い高校時代は半ば不登校になっていたわけだし。

 

僕は薬のおかげでまともな人間として生活できている。少し強い言い方をすれば「薬に生かされている」。しかし、果たして薬に頼って生きているそれは僕自身と言えるのだろうか?

そんな疑問を抱いたのである。

 

例えば薬物中毒になった人。そんな人を正常でまともな人と判断する人はいないだろう。中毒になった人もまともになったら「あれは自分じゃなかった」なんて自分のことを言うかもしれない。自意識を薬一つに支配された状態。それはもう自己判断のできる自立した一人の人間ではないだろう。

 

僕は言うならば、この真逆である。薬でまともになっている。結果としては真逆でも自意識を薬に支配された状態、という意味では変わらないだろう。果たしてその状態の僕は自己判断のできる、自立した一人の人間と言えるのだろうか?薬で精神状態を変えているのではないだろうか?

客観的にまともで自立した人間に見えるようになっただけで、それは僕自身ではないんじゃないか?

 

周りからすれば薬でまともになったのも、そうじゃないのも僕かもしれないが、薬によって鳴りを潜めたネガティブな僕はどこに行ったのだろうか?もともとの僕はいわば仮死状態のように心の奥底に沈められ、薬によってもたらされたまともな精神だけが生きている……のかもしれない。

 

僕は薬に生かされていて、同時に殺されている。

そんな風に自分のことを考えたりするのは、やはり薬の抜けたネガティブな自分だった。